午前中にカミさんの実家に行く用事ができたので、二人でドライブと洒落込んだ。 と言っても車で20分足らずの道程だが・・・。 その道中で、いつも思っていることだが、交通法規を守らない車が如何に多いかを思い知る事になる。 特に、停止線を守らないのだ。 大阪でも特に泉州はこの傾向が強い。
そこで、しばらく定点観測をした。 我が家の近所に警察署があり、その前の交差点での停止状況を調べてみようと試みた。 時は16日の12時20分から30分間。 天気は晴れ。 五十日(ごとび)でもないのに元一級国道は交通量が多い。 2個のカウンターを使い、必死で調べた。
その結果、法律通りに判定すると僅かでも停止線を越えた車がなんと85%にのぼった。 その中で、1m以上オーバーした車は全体の47%に達した。 (私は、舞台道具などの仕事をしていた経験があり、距離や寸法を読み取る能力に長けていると思う)
また、不必要に手前(3m以上)に止まる車は全体の5%もあった。 主として女性ドライバーだが、誰はばかることなくイチャついている愚かしいカップルも多かった。 中には警察の直近で大胆にも携帯電話で話をしている男もいた。
どうして、こんな簡単なルールを守れないのだろうか。
日本の道路交通に関する規則は必ずしも全てを守る必要はない、規則の根拠が薄い、と言う意見がある。これは、見つからなければ違反をしてもいい、という愚かな考えとは異なる次元のものだが、私は規則は規則として守るべきだと思っている。
確かに画一的に決められているところもあると思う。 特にスピード制限などは首をかしげることが多い。 だが、信号や一時停止など、優先順位をきちんと守らせるための決まり事項は、事故回避のために重要だ。 それは絶対に守らなければならないと思う。 自分もその周囲にあるさまざまな「動き」の一つなのだ。 規則は常にそういう考えに立って作られているはずのものだと思う。
停止線もただ単に交差点の端から何mか後ろに引かれている、と思っている人が多い。 きっと大型車を運転した事のある人はそうは思わないだろう。 停止線で泊まっていてくれないと右左折できないからだ。 停止線は進入禁止の道路標示は必要だからそうなっていると思うべきだ。 だのに、ほとんどの人が守っていない。 これじゃ上海の2輪と同じだ。
いつも書くことだが、ドイツのアウトバーンで、スピード制限が示されているとドライバー達はスピードを落とし、制限速度を守っているのに感心した。 「その速度制限の理由があるからだよ」と駐在者に教えてもらった。 私も、どれだけ急いでいても20~30Kmの標識がある場合は必ず速度を落としている。 細い道を疾走する危険性を知っているつもりだ。
ともあれ、停止線ぐらい守れよ、馬鹿ども! 守れない理由などないはずだ。
そこで、しばらく定点観測をした。 我が家の近所に警察署があり、その前の交差点での停止状況を調べてみようと試みた。 時は16日の12時20分から30分間。 天気は晴れ。 五十日(ごとび)でもないのに元一級国道は交通量が多い。 2個のカウンターを使い、必死で調べた。
その結果、法律通りに判定すると僅かでも停止線を越えた車がなんと85%にのぼった。 その中で、1m以上オーバーした車は全体の47%に達した。 (私は、舞台道具などの仕事をしていた経験があり、距離や寸法を読み取る能力に長けていると思う)
また、不必要に手前(3m以上)に止まる車は全体の5%もあった。 主として女性ドライバーだが、誰はばかることなくイチャついている愚かしいカップルも多かった。 中には警察の直近で大胆にも携帯電話で話をしている男もいた。
どうして、こんな簡単なルールを守れないのだろうか。
日本の道路交通に関する規則は必ずしも全てを守る必要はない、規則の根拠が薄い、と言う意見がある。これは、見つからなければ違反をしてもいい、という愚かな考えとは異なる次元のものだが、私は規則は規則として守るべきだと思っている。
確かに画一的に決められているところもあると思う。 特にスピード制限などは首をかしげることが多い。 だが、信号や一時停止など、優先順位をきちんと守らせるための決まり事項は、事故回避のために重要だ。 それは絶対に守らなければならないと思う。 自分もその周囲にあるさまざまな「動き」の一つなのだ。 規則は常にそういう考えに立って作られているはずのものだと思う。
停止線もただ単に交差点の端から何mか後ろに引かれている、と思っている人が多い。 きっと大型車を運転した事のある人はそうは思わないだろう。 停止線で泊まっていてくれないと右左折できないからだ。 停止線は進入禁止の道路標示は必要だからそうなっていると思うべきだ。 だのに、ほとんどの人が守っていない。 これじゃ上海の2輪と同じだ。
いつも書くことだが、ドイツのアウトバーンで、スピード制限が示されているとドライバー達はスピードを落とし、制限速度を守っているのに感心した。 「その速度制限の理由があるからだよ」と駐在者に教えてもらった。 私も、どれだけ急いでいても20~30Kmの標識がある場合は必ず速度を落としている。 細い道を疾走する危険性を知っているつもりだ。
ともあれ、停止線ぐらい守れよ、馬鹿ども! 守れない理由などないはずだ。
鬼は私の中にいる
鬼は時々顔を出す
青いの赤いのいろいろだ
サイズもまちまち、バラバラで
みっともないぞ、鬼さんよ
よく見りゃ私にそっくりだ
人をうらんで、嫉妬して
報復ばかり考える
この上ないほど後ろ向き
鬼は私の分身か
心の鬼を払いたい
豆がそこまで届くかな
グータラ、間抜けな鬼たちに
言ってやりたいことがある
お前が巣付くこの俺は
家族思いの律義者
仕事が好きな能動家
お前がとりつく相手じゃない
今はちょこっと一休み
のんびりしているだけなのさ
溜まった疲れが夢濁し
冷や汗かいてるだけなのさ
明日はきっとスッキリと
明るい笑顔に戻ってる
鬼は外だよ、鬼は外
とっとと何処かへ行きやがれ
お前の顔など見たくない
俺は本来陽気者
だから出て行け、今すぐに
戻ってくるな、もう二度と
鬼は私の中にいる
私が鬼を住まわせた
私の心は暗い闇
だから鬼にはよかったが
みんなが心に灯をともし
明るい私にしてくれた
もうこれからは鬼たちと
縁切り、さよなら、もう会わん
心を明るくしていれば
鬼など住めるはずがない
節分の日は鏡の日
心の鬼をなくす日だ
鬼は時々顔を出す
青いの赤いのいろいろだ
サイズもまちまち、バラバラで
みっともないぞ、鬼さんよ
よく見りゃ私にそっくりだ
人をうらんで、嫉妬して
報復ばかり考える
この上ないほど後ろ向き
鬼は私の分身か
心の鬼を払いたい
豆がそこまで届くかな
グータラ、間抜けな鬼たちに
言ってやりたいことがある
お前が巣付くこの俺は
家族思いの律義者
仕事が好きな能動家
お前がとりつく相手じゃない
今はちょこっと一休み
のんびりしているだけなのさ
溜まった疲れが夢濁し
冷や汗かいてるだけなのさ
明日はきっとスッキリと
明るい笑顔に戻ってる
鬼は外だよ、鬼は外
とっとと何処かへ行きやがれ
お前の顔など見たくない
俺は本来陽気者
だから出て行け、今すぐに
戻ってくるな、もう二度と
鬼は私の中にいる
私が鬼を住まわせた
私の心は暗い闇
だから鬼にはよかったが
みんなが心に灯をともし
明るい私にしてくれた
もうこれからは鬼たちと
縁切り、さよなら、もう会わん
心を明るくしていれば
鬼など住めるはずがない
節分の日は鏡の日
心の鬼をなくす日だ
関西出身の芸人がテレビで市民権を得たせいか、下品な「大阪弁」が巷を席巻している。 その一つが「オカン」というもの。 母親のことをさす下品で低俗的な言葉だが、今の若者は平気で使う。 リリー・フランキーのヒット作「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」が背中を押したのはいうまでもないが、60歳を越した私が聞くと、どうも耳障りだ。
「オカン」といえば、私には風邪引き症状の「悪寒」が出てくる。 日本酒(お燗)をあまり飲まない私にはこれ以外にはない。 ましてや、おくりびととは極力縁を持ちたくないと思っているから、そういう字(お棺)は思い出したくもない。 「オカン」、どうもいい言葉じゃない。
その好きじゃない悪寒に好かれてしまった。 背中を、身体中を走り回っている。 体温は微熱程度、頭は重い。 どうやら、昨日の夕方、雨が降る中を結構歩いたので、風邪を引いたようだ。 睡眠時間が少なかったのも利いたかもしれない。 昨夜から今日にかけて8時間も寝てしまった。 5時間が普通の私がそれ以上寝ると、体調がよくないことを示す。 起きたら咽喉が痛かった。 咳はない。
この冬はよく風邪を引く。 風邪の抵抗力が、いや、体力そのものが落ちているためだろう。
「もう歳やね」
カミさんもこの当たり前の言葉を言わなくなった。
医院に足を運ぶべきか、悩んでいる。 とりあえず売薬を飲んだ。 今夜は早寝しよう。 目標は日付変更線の手前。 取って置きの30年物のウイスキーを飲んでひっくり返るつもりだ。
「オカン」といえば、私には風邪引き症状の「悪寒」が出てくる。 日本酒(お燗)をあまり飲まない私にはこれ以外にはない。 ましてや、おくりびととは極力縁を持ちたくないと思っているから、そういう字(お棺)は思い出したくもない。 「オカン」、どうもいい言葉じゃない。
その好きじゃない悪寒に好かれてしまった。 背中を、身体中を走り回っている。 体温は微熱程度、頭は重い。 どうやら、昨日の夕方、雨が降る中を結構歩いたので、風邪を引いたようだ。 睡眠時間が少なかったのも利いたかもしれない。 昨夜から今日にかけて8時間も寝てしまった。 5時間が普通の私がそれ以上寝ると、体調がよくないことを示す。 起きたら咽喉が痛かった。 咳はない。
この冬はよく風邪を引く。 風邪の抵抗力が、いや、体力そのものが落ちているためだろう。
「もう歳やね」
カミさんもこの当たり前の言葉を言わなくなった。
医院に足を運ぶべきか、悩んでいる。 とりあえず売薬を飲んだ。 今夜は早寝しよう。 目標は日付変更線の手前。 取って置きの30年物のウイスキーを飲んでひっくり返るつもりだ。
よく、階段の前後すぐで立ち止まる人がいる。
上ろうとして、上りきって、下りようとして、下りきって・・・、平気で立ち止まる。
階段だけじゃない。
エスカレータでも、出入り口でもいえる。
自分がそこにいることで周囲にどのような影響が出るかを想像することのできない、ある意味で自分勝手な人間だ。
それが悲しいことに年寄りに多い。
自分がどれだけ危険なのか、他人にどれだけ迷惑をかけているか、まったく気づいていない。
車の運転だって同じだ。
流れや周囲、特に行き違う車への配慮など無い人が多い。
危険だ。
そういう輩は自宅でじっとして、「外に出ることまかりならん」 と言ってやりたい。
今日、カミさんと駅の向こう側にある食料品スーパーに買い物に行き、帰りに駅への階段を登っていた時に、変なオバハンが階段を登りきったところで電話をかけていた。
それも間口の真ん中で、だ。
あまりに危険だったので言ってやろうかと思ったが、それを察してか、カミさんから止められた。
「他人のことやからほっときや」
「そやかて、あぶないやろ。 みんな迷惑しているし・・・。 アホやな、あいつ」
「な、他人の振り見て我が振りなおせ、やで」
カミさんに言われてしまった。
上ろうとして、上りきって、下りようとして、下りきって・・・、平気で立ち止まる。
階段だけじゃない。
エスカレータでも、出入り口でもいえる。
自分がそこにいることで周囲にどのような影響が出るかを想像することのできない、ある意味で自分勝手な人間だ。
それが悲しいことに年寄りに多い。
自分がどれだけ危険なのか、他人にどれだけ迷惑をかけているか、まったく気づいていない。
車の運転だって同じだ。
流れや周囲、特に行き違う車への配慮など無い人が多い。
危険だ。
そういう輩は自宅でじっとして、「外に出ることまかりならん」 と言ってやりたい。
今日、カミさんと駅の向こう側にある食料品スーパーに買い物に行き、帰りに駅への階段を登っていた時に、変なオバハンが階段を登りきったところで電話をかけていた。
それも間口の真ん中で、だ。
あまりに危険だったので言ってやろうかと思ったが、それを察してか、カミさんから止められた。
「他人のことやからほっときや」
「そやかて、あぶないやろ。 みんな迷惑しているし・・・。 アホやな、あいつ」
「な、他人の振り見て我が振りなおせ、やで」
カミさんに言われてしまった。
上海にいる時は見るのも嫌だった月餅を近所の菓子屋で見つけて、思わず買ってしまった。
といってもカミさんと2個ずつの合計4個だけ。
今月半ばには中秋の名月。
中国の慣習がまだ身体に染み込んでいるのかも。
尤も、日本では中国のような狂騒はない。
月見団子にすすきも今は昔のお話だ。
風情が薄れ、歳時記が現実離れしてくると、私の世代としては実に寂しい。
残りが見えてきた人生と重なるからか。
大整理は未だに続いてはいるが、ほとんど片付いた。
その中で、図書のダンボール箱を整理した時、歳時記が幾つか出てきた。
思えば、もう随分と俳句に接していない。
勿論、詠むこともない。
ただ、季語は事ある毎に思い出そうとしている。
今の私の生活の中では、NHKの天気予報くらいしか季語が出てこないが、私にとっては大事なものだ。
これも薄れつつある季節感、風情、景色、習慣、気質と同じところにあると思う。
それだけに、大切にしたい。
今の時期を示すことばに、「新涼」がある。
このところ秋を感じさせる朝夕の爽やかさも、夜歩きの汗の減少も、全て「新涼」で表すことができる。
涼新た シャワーの湯温 1度上げ
恥ずかしげもなく書いたが、実に凡庸な句だ。
といってもカミさんと2個ずつの合計4個だけ。
今月半ばには中秋の名月。
中国の慣習がまだ身体に染み込んでいるのかも。
尤も、日本では中国のような狂騒はない。
月見団子にすすきも今は昔のお話だ。
風情が薄れ、歳時記が現実離れしてくると、私の世代としては実に寂しい。
残りが見えてきた人生と重なるからか。
大整理は未だに続いてはいるが、ほとんど片付いた。
その中で、図書のダンボール箱を整理した時、歳時記が幾つか出てきた。
思えば、もう随分と俳句に接していない。
勿論、詠むこともない。
ただ、季語は事ある毎に思い出そうとしている。
今の私の生活の中では、NHKの天気予報くらいしか季語が出てこないが、私にとっては大事なものだ。
これも薄れつつある季節感、風情、景色、習慣、気質と同じところにあると思う。
それだけに、大切にしたい。
今の時期を示すことばに、「新涼」がある。
このところ秋を感じさせる朝夕の爽やかさも、夜歩きの汗の減少も、全て「新涼」で表すことができる。
涼新た シャワーの湯温 1度上げ
恥ずかしげもなく書いたが、実に凡庸な句だ。
あと3日足らずで今年も終わる。
早い。
歳をとると特にそう感じる。
来年は当たり年。
しかも還暦だ。
いい一年にしたい。
年賀状も既に出した。
買出しは明日だ。
今日はマンションの行事と部屋の掃除をする。
年々薄らいで行く迎春気分だが、いよいよとなってかなりその気になってきた。
さあ、いつでも正月やっといで。
といって、早まると困るけどね。
早い。
歳をとると特にそう感じる。
来年は当たり年。
しかも還暦だ。
いい一年にしたい。
年賀状も既に出した。
買出しは明日だ。
今日はマンションの行事と部屋の掃除をする。
年々薄らいで行く迎春気分だが、いよいよとなってかなりその気になってきた。
さあ、いつでも正月やっといで。
といって、早まると困るけどね。
昨日、台湾出張から帰国。
台風が去った台北に行き、台風が去った大阪に帰還。
ラッキーなのだろう。
220日も過ぎて、今年は一つも日本本土 (最近、こういう言い方は少ないね。本州と北海道、九州、四国) に上陸した台風はない。
珍しいことだ。
台風が去った台北に行き、台風が去った大阪に帰還。
ラッキーなのだろう。
220日も過ぎて、今年は一つも日本本土 (最近、こういう言い方は少ないね。本州と北海道、九州、四国) に上陸した台風はない。
珍しいことだ。
ニュースネタ一杯だね
2008年9月2日オリンピックが終わり、アメリカの選挙やハリケーン情報に体重をかけようとしていた矢先に、日本の首相が辞任。
マスコミは嬉しい悲鳴。
国民はホントに悲鳴。
マスコミは嬉しい悲鳴。
国民はホントに悲鳴。
連休最後の日
2008年5月6日10時まで寝た。
起きて、電器屋にプリンターのインク(黒)カートリッジを買いに行った。
そのままホームセンターに回り、あれこれ買い物。
帰宅してから初めての洗車。
シルバーの車は初めて買ったが、本当に汚れが目立たない。
やがて娘夫婦がやってきた。
久しぶりだ。
カミさんが張り切っている。
お昼からすごいご馳走だ。
カミさんの声の調子がいつもとぜんぜん違う。
やはり娘が来ると嬉しいのだろう。
先日のもう一人の娘の結婚式の引き出物にあったたい焼きを開けて食べた。
なんと、アップルパイだった。
でも、こしあんも入っていた。
全員で大笑いしながら食べた。
起きて、電器屋にプリンターのインク(黒)カートリッジを買いに行った。
そのままホームセンターに回り、あれこれ買い物。
帰宅してから初めての洗車。
シルバーの車は初めて買ったが、本当に汚れが目立たない。
やがて娘夫婦がやってきた。
久しぶりだ。
カミさんが張り切っている。
お昼からすごいご馳走だ。
カミさんの声の調子がいつもとぜんぜん違う。
やはり娘が来ると嬉しいのだろう。
先日のもう一人の娘の結婚式の引き出物にあったたい焼きを開けて食べた。
なんと、アップルパイだった。
でも、こしあんも入っていた。
全員で大笑いしながら食べた。
凍る
2008年2月24日今日は南大阪でも気温が下がっている上に、風が強い。
ベランダに残っていた昨日の雨の水溜りがこの寒さで凍っていた。
大阪で氷を見るのは久しぶりだ。
窓もベランダのガラス戸もすごい結露。
今日は一日外出したくない。
ベランダに残っていた昨日の雨の水溜りがこの寒さで凍っていた。
大阪で氷を見るのは久しぶりだ。
窓もベランダのガラス戸もすごい結露。
今日は一日外出したくない。
晴れた
2008年2月12日久しぶりに、スカッとした晴れ。
でも、グレーがかった冬の空。
ガラスを通してあたる陽が暖かい。
昼も食べ、DVDにも飽きて、ちょっと外出した。
といって、別段行く先もなく、カミさんと買い物に岸和田まで出て、ビデオ屋を回って帰宅。
走行距離21Km。
久しぶりにたっぷり運転した。
11日は建国記念日。
制定されたのが1967年。
高校生の私には、当然、大きな抵抗があった。
今だに素直には受け入れ難いものとなっている。
しかし、この国が好きで、この国の民族と歴史を誇りに思う一人として、こういう制定でもいいのではないかと思うようになってきた。
当然ながら、ほかにもっと適当な理由が言える日があればそれを選ぶだろう。
しかし、無理やりに探す必要もなかろう。
日本の歴史は古いし、昔からしっかりした文化的国家であったことは確かだから、今更の定義づけも要らないと思う。
でも、グレーがかった冬の空。
ガラスを通してあたる陽が暖かい。
昼も食べ、DVDにも飽きて、ちょっと外出した。
といって、別段行く先もなく、カミさんと買い物に岸和田まで出て、ビデオ屋を回って帰宅。
走行距離21Km。
久しぶりにたっぷり運転した。
11日は建国記念日。
制定されたのが1967年。
高校生の私には、当然、大きな抵抗があった。
今だに素直には受け入れ難いものとなっている。
しかし、この国が好きで、この国の民族と歴史を誇りに思う一人として、こういう制定でもいいのではないかと思うようになってきた。
当然ながら、ほかにもっと適当な理由が言える日があればそれを選ぶだろう。
しかし、無理やりに探す必要もなかろう。
日本の歴史は古いし、昔からしっかりした文化的国家であったことは確かだから、今更の定義づけも要らないと思う。
帰国しました
2007年7月10日1ヶ月前の6月9日に上海より戻ってきました。
今は南大阪に住みながら、京都の会社へ通っています。
通勤時間は往復で4時間半。
体力と気力の真剣勝負です。
でも、負けるのはいやだから、がんばります。
今は南大阪に住みながら、京都の会社へ通っています。
通勤時間は往復で4時間半。
体力と気力の真剣勝負です。
でも、負けるのはいやだから、がんばります。
風邪
2006年12月6日土曜日、油断をして薄着をしていたら、午後から気温が下がってきてしっかり風邪をひいた。
たまらん。
以来、仕事にならない。
寝込むほどではないが、月曜日は医院へ行き、その後に早退した。
今日も体が重い。
熱はない。
咳もない。
ただ、今流行している風邪のように胃腸への影響はあまりない。
仕事がますます忙しくなる。
今のうちにしっかり治さなくっちゃ。
たまらん。
以来、仕事にならない。
寝込むほどではないが、月曜日は医院へ行き、その後に早退した。
今日も体が重い。
熱はない。
咳もない。
ただ、今流行している風邪のように胃腸への影響はあまりない。
仕事がますます忙しくなる。
今のうちにしっかり治さなくっちゃ。
最近
2006年10月22日自分の日記が書けていないし、ここにも書きに来ていない。
mixiやGREEでも遊んでいるが、そちらの日記もあまり進んでいない。
でも、最もリアルタイムに近いのはmixiかもしれない。
りちゃーど
という名前で出ている。
mixiやGREEでも遊んでいるが、そちらの日記もあまり進んでいない。
でも、最もリアルタイムに近いのはmixiかもしれない。
りちゃーど
という名前で出ている。
天津ちょい見物
2006年8月24日起床は6時30分。
ソファーのうたた寝がたたって、きっちり風邪引きの症状。
寝心地の良いベッドにはたった2時間しか横たわらなかった。
8時、2階のレストランで朝食。
昨日と違って安心して食べられる。
泊っている客もいい。
ホテル代をケチってはいけない。
安心、快適にお金を払うのだから・・・。
ホテルは5ツ星に限る。
仕事では普通の5ツ星にしているが、領収書の必要ない個人的な旅行ではなるべく最上クラスの5ツ星にしている。
宿泊施設がしょぼいと遊びも仕事もしょぼくなる。
次回の大連はこちらからホテルを指定しなければいけないな。
13時までにチェックアウトすればいいから、部屋はそのままにして徒歩5分の場所にある顧客のオフィスを訪ねる。
打合せを終え、10時30分に一旦ホテルに戻り、チェックアウトをして、荷物を預けたままでL部長と付近の散策に。
このあたりはかつての英国租界の建物が街ごと保存されている風致地区で、建築的にもいい建物が多い。
維持も大変だろうが、変に改築などせずに、しっかりと保存してもらいたい。
洋館の一つで、かなりの収集骨董品を展示した「食べられる博物館」で広東料理を食べた。
あっさり味で美味かったが、値は少し高めだった。
15時35分発の中国国際航空機に乗るために14時にホテルを出て、新しくてゆったりしたタクシーで空港まで行ったが、空いている時間帯でもあり、20分ほどで着いてしまった。
チェックインをし、中に入り、土産を買って、さあ、それからが長い。
飛行機が遅れているのだ。
結局、1時間遅れの16時40分に出発。
機体はボロい、サービスは悪い・・・中国民航の分割4社の中では最も儲かっているはずなのに、最も乗り心地が悪い。
狭い機内は満席で、バッグの収納スペースがない。
どこでもそうだが、最近は機内持ち込みの荷物がみんな多くなり、そして大きくなっている。
せっかちな中国人はそれが顕著である。
預けると時間がかかるからだが、荷物で身動きが取れないこともあり、機内は危険な状態になる可能性もあるため、航空会社はもっと厳しく管理して欲しいと思う。
私は持ち込み可能なサイズのバッグ一つだけだったのだが、早々とOHコンソールは塞がっていた。
何とか前の座席の下に置いたが、足が動かせず、約2時間、首の痛みも加味して、大変苦痛だった。
上海は夏の暑さではあるが、もう秋風が吹いている。
飛行機も着陸直後に横風で煽られて一瞬ひやりとしたが、無事にとはいえなくとも1時間5分遅れで到着。
L部長の友人が車で迎えに来ていて、私を自宅まで送ってくれた。
帰宅後、荷物を整理し、いつもの友人の帰りを待って、「百盛」の四川料理屋「湘江南」へ。
実は、今回の出張の途中でアップした日記が元で、この友人とは一触即発の状態。
初めから不機嫌を顔に表しており、取り付くしまがないほどだったが、食が進むうちにいつもの笑顔も出てきたので、ちゃんと詫びて、何とか機嫌を取り戻した。
元はといえば私がその場しのぎのごまかしをしたのが原因。
約束を破った代償はツケとなって後々に響くかも・・・。
早々に帰宅し、元々風邪気味だったのに入浴後にまたソファーでうたた寝をしてしまい、ダメ押しをしてしまった。
身体がメチャ重い。
ソファーのうたた寝がたたって、きっちり風邪引きの症状。
寝心地の良いベッドにはたった2時間しか横たわらなかった。
8時、2階のレストランで朝食。
昨日と違って安心して食べられる。
泊っている客もいい。
ホテル代をケチってはいけない。
安心、快適にお金を払うのだから・・・。
ホテルは5ツ星に限る。
仕事では普通の5ツ星にしているが、領収書の必要ない個人的な旅行ではなるべく最上クラスの5ツ星にしている。
宿泊施設がしょぼいと遊びも仕事もしょぼくなる。
次回の大連はこちらからホテルを指定しなければいけないな。
13時までにチェックアウトすればいいから、部屋はそのままにして徒歩5分の場所にある顧客のオフィスを訪ねる。
打合せを終え、10時30分に一旦ホテルに戻り、チェックアウトをして、荷物を預けたままでL部長と付近の散策に。
このあたりはかつての英国租界の建物が街ごと保存されている風致地区で、建築的にもいい建物が多い。
維持も大変だろうが、変に改築などせずに、しっかりと保存してもらいたい。
洋館の一つで、かなりの収集骨董品を展示した「食べられる博物館」で広東料理を食べた。
あっさり味で美味かったが、値は少し高めだった。
15時35分発の中国国際航空機に乗るために14時にホテルを出て、新しくてゆったりしたタクシーで空港まで行ったが、空いている時間帯でもあり、20分ほどで着いてしまった。
チェックインをし、中に入り、土産を買って、さあ、それからが長い。
飛行機が遅れているのだ。
結局、1時間遅れの16時40分に出発。
機体はボロい、サービスは悪い・・・中国民航の分割4社の中では最も儲かっているはずなのに、最も乗り心地が悪い。
狭い機内は満席で、バッグの収納スペースがない。
どこでもそうだが、最近は機内持ち込みの荷物がみんな多くなり、そして大きくなっている。
せっかちな中国人はそれが顕著である。
預けると時間がかかるからだが、荷物で身動きが取れないこともあり、機内は危険な状態になる可能性もあるため、航空会社はもっと厳しく管理して欲しいと思う。
私は持ち込み可能なサイズのバッグ一つだけだったのだが、早々とOHコンソールは塞がっていた。
何とか前の座席の下に置いたが、足が動かせず、約2時間、首の痛みも加味して、大変苦痛だった。
上海は夏の暑さではあるが、もう秋風が吹いている。
飛行機も着陸直後に横風で煽られて一瞬ひやりとしたが、無事にとはいえなくとも1時間5分遅れで到着。
L部長の友人が車で迎えに来ていて、私を自宅まで送ってくれた。
帰宅後、荷物を整理し、いつもの友人の帰りを待って、「百盛」の四川料理屋「湘江南」へ。
実は、今回の出張の途中でアップした日記が元で、この友人とは一触即発の状態。
初めから不機嫌を顔に表しており、取り付くしまがないほどだったが、食が進むうちにいつもの笑顔も出てきたので、ちゃんと詫びて、何とか機嫌を取り戻した。
元はといえば私がその場しのぎのごまかしをしたのが原因。
約束を破った代償はツケとなって後々に響くかも・・・。
早々に帰宅し、元々風邪気味だったのに入浴後にまたソファーでうたた寝をしてしまい、ダメ押しをしてしまった。
身体がメチャ重い。
大連〜天津
2006年8月23日起床は6時30分。
最上階の日本食レストランで朝食。
頭の禿た、私ぐらいの年齢のおっさんが若い(多分10代?)可愛い女の子と食べに来る。
さらにもう一組、そういう感じのカップル。
似ているわけでもなく、どう見ても親子じゃない。
女性は甲斐甲斐しくおっさんの世話をしている。
私の連れのL部長は急にぶつぶつ言い出した。
妬くな、妬くな。
昨日夕食をご馳走になった顧客のオフィスへ行く。
そこは我々の製品を取り扱ってくれる代理店で、昨夜のS総経理と営業担当のL係長が我々を開発区にあるユーザーの工場へ案内してくれるのだ。
小さなタクシーに4人の乗客で、後部席3人掛けはつらい。
約45分、無理な姿勢を続けたので首がますます痛くなった。
大手メーカーのテレビ製造部門が進出しており、ブラウン管で始めた製造がいまや液晶のみとなった。
中国市場ではまだブラウン管が主流だが、日本への再輸出品は付加価値の高い液晶しかできなくなっている。
私の会社の製品は液晶テレビに必要な部品なので、我々には追い風だ。
どのメーカーも生産に占める中国工場の割合を減らしている。
人件費が高騰し、税制や外貨の扱いが難しい中国よりも、ハンドリングのし易い国へと重心が移動しているようだ。
しかし、それは膨張している分が他国へ割り振られているだけで、中国での生産量自体はやはり増加しているし、東アジアではやはり中国生産が主流であることには変わりない。
打合せ後、L係長はそのまま居残り、S総経理と我が社のL部長の3名で市内に戻ってきた。
昼食は延安路にある日本ラーメン「味の蔵」で久しぶりに「日本のラーメン」を食べた。
上海では味わえない味だ。
上海で最も多い、あのひどい味の「味千ラーメン」がここにも一時出店していたが、大連の人には受け入れられず、撤退したという。
上海が味オンチの土地であるという証明の一つがここにあった。
私はますます大連が好きになった。
だが、嬉しいことばかりではない。
ラーメンにニンニクを入れようとしたら金具の一部がはずれ、私のラーメン鉢の中にボチャンとはまって、かなりラーメンの汁がかかった。
黄色いBDシャツは汚れがあまり目立たないが、綿パンは悲惨だった。
このままでは穿いて行けないので、後ほどオフィス近くの百貨店で買うことにし、それまでは旅の恥をかき捨てた。
そこから歩く景色は私の目を点にしてゆく。
元、満鉄の鉄道病院を通り抜け、悲鳴をあげる私の興奮の頂点はやはり中山広場。
元の大和ホテルをはじめ、広場を囲む建物はすべて旧日本統治下のもので、歴史の1ページを見る思いだった。
建築的にも価値のある建物を間近に見て、その細部までゆっくり見る時間が欲しいと思った。
次回は市内見学の日を作るつもりだ。
かつて、ここに住んでいたことのあるL部長と現役住民のS総経理が私を案内するのだが、あちらこちらをキョロキョロ見てカメラを振る私を置き去りにして、彼らはどんどん先に進むから、走っては止まり、走っては止まりでかなり疲れた。
私には新鮮な景色も彼らにとっては見飽きたものなのかもしれない。
一通りさっと見て、繁華街で綿パンを買い、コーヒーも飲んで午後2時、オフィスに再度お邪魔した。
時間までPC処理をし、タクシーで大連空港へ。
天津までの南方航空機に乗るためだ。
この航空会社は、昨日の東方航空とは違い、サービスがかなり良い。
明日の中国国際航空と北方航空も併せたこれら4社は元の中国民航が分割してできた会社だが、なぜかサービスも事故率も大きく違う。
飛行機は少し早めに出発し、快調に飛行して予定を10分ほど早めに天津に着いた。
ほどなく、大連と同じ代理店の天津法人のN総経理が社有車で迎えに来てくれた。
まずホテルにチェックイン。
マリオット系のルネッサンス、5ツ星だ。
部屋が開いていないから予約された部屋とグレードが変わります、というフロントのコメントで上ランクを期待したが、果たして、ドアを開けたらスイートルームだった。
荷物を置き、ロビーで待っていたN総経理が案内してくれたのは、車で10分ほど走った、洋館を改装した日本料理屋。
味は上海の平均よりも上だし、女将が神戸美人。
美味くない朝飯、美味かったがラーメンの昼で空腹だったのか、よく食べ、しっかりご馳走になってしまった。
その後、一旦ホテルまで戻ったが、「もうちょっと」ということになり、少し街路を歩いて安心して飲めそうな店に入った。
1階が中国銀行で、3階はチップ制のKTV店という、へんな組合せのビルの2階にあるノーチップ制のクラブ。
女性のコスチュームはチャイナドレスで、いやらしい感じはなかった。
約1時間半、楽しい時間を過ごして、ホテルまでタクシーで送ってもらった。
大連のタクシーはきれいな車が多かったが、天津は以前のスターレットのような小さな車で、クーラーもなく、しかも汚い。
料金は同じで、初乗り8元だ。
部屋に戻り、リビングルームでくつろいでいるうちにソファーで寝てしまい、目覚めたら4時。
きっちり風邪を引いてしまった。
最上階の日本食レストランで朝食。
頭の禿た、私ぐらいの年齢のおっさんが若い(多分10代?)可愛い女の子と食べに来る。
さらにもう一組、そういう感じのカップル。
似ているわけでもなく、どう見ても親子じゃない。
女性は甲斐甲斐しくおっさんの世話をしている。
私の連れのL部長は急にぶつぶつ言い出した。
妬くな、妬くな。
昨日夕食をご馳走になった顧客のオフィスへ行く。
そこは我々の製品を取り扱ってくれる代理店で、昨夜のS総経理と営業担当のL係長が我々を開発区にあるユーザーの工場へ案内してくれるのだ。
小さなタクシーに4人の乗客で、後部席3人掛けはつらい。
約45分、無理な姿勢を続けたので首がますます痛くなった。
大手メーカーのテレビ製造部門が進出しており、ブラウン管で始めた製造がいまや液晶のみとなった。
中国市場ではまだブラウン管が主流だが、日本への再輸出品は付加価値の高い液晶しかできなくなっている。
私の会社の製品は液晶テレビに必要な部品なので、我々には追い風だ。
どのメーカーも生産に占める中国工場の割合を減らしている。
人件費が高騰し、税制や外貨の扱いが難しい中国よりも、ハンドリングのし易い国へと重心が移動しているようだ。
しかし、それは膨張している分が他国へ割り振られているだけで、中国での生産量自体はやはり増加しているし、東アジアではやはり中国生産が主流であることには変わりない。
打合せ後、L係長はそのまま居残り、S総経理と我が社のL部長の3名で市内に戻ってきた。
昼食は延安路にある日本ラーメン「味の蔵」で久しぶりに「日本のラーメン」を食べた。
上海では味わえない味だ。
上海で最も多い、あのひどい味の「味千ラーメン」がここにも一時出店していたが、大連の人には受け入れられず、撤退したという。
上海が味オンチの土地であるという証明の一つがここにあった。
私はますます大連が好きになった。
だが、嬉しいことばかりではない。
ラーメンにニンニクを入れようとしたら金具の一部がはずれ、私のラーメン鉢の中にボチャンとはまって、かなりラーメンの汁がかかった。
黄色いBDシャツは汚れがあまり目立たないが、綿パンは悲惨だった。
このままでは穿いて行けないので、後ほどオフィス近くの百貨店で買うことにし、それまでは旅の恥をかき捨てた。
そこから歩く景色は私の目を点にしてゆく。
元、満鉄の鉄道病院を通り抜け、悲鳴をあげる私の興奮の頂点はやはり中山広場。
元の大和ホテルをはじめ、広場を囲む建物はすべて旧日本統治下のもので、歴史の1ページを見る思いだった。
建築的にも価値のある建物を間近に見て、その細部までゆっくり見る時間が欲しいと思った。
次回は市内見学の日を作るつもりだ。
かつて、ここに住んでいたことのあるL部長と現役住民のS総経理が私を案内するのだが、あちらこちらをキョロキョロ見てカメラを振る私を置き去りにして、彼らはどんどん先に進むから、走っては止まり、走っては止まりでかなり疲れた。
私には新鮮な景色も彼らにとっては見飽きたものなのかもしれない。
一通りさっと見て、繁華街で綿パンを買い、コーヒーも飲んで午後2時、オフィスに再度お邪魔した。
時間までPC処理をし、タクシーで大連空港へ。
天津までの南方航空機に乗るためだ。
この航空会社は、昨日の東方航空とは違い、サービスがかなり良い。
明日の中国国際航空と北方航空も併せたこれら4社は元の中国民航が分割してできた会社だが、なぜかサービスも事故率も大きく違う。
飛行機は少し早めに出発し、快調に飛行して予定を10分ほど早めに天津に着いた。
ほどなく、大連と同じ代理店の天津法人のN総経理が社有車で迎えに来てくれた。
まずホテルにチェックイン。
マリオット系のルネッサンス、5ツ星だ。
部屋が開いていないから予約された部屋とグレードが変わります、というフロントのコメントで上ランクを期待したが、果たして、ドアを開けたらスイートルームだった。
荷物を置き、ロビーで待っていたN総経理が案内してくれたのは、車で10分ほど走った、洋館を改装した日本料理屋。
味は上海の平均よりも上だし、女将が神戸美人。
美味くない朝飯、美味かったがラーメンの昼で空腹だったのか、よく食べ、しっかりご馳走になってしまった。
その後、一旦ホテルまで戻ったが、「もうちょっと」ということになり、少し街路を歩いて安心して飲めそうな店に入った。
1階が中国銀行で、3階はチップ制のKTV店という、へんな組合せのビルの2階にあるノーチップ制のクラブ。
女性のコスチュームはチャイナドレスで、いやらしい感じはなかった。
約1時間半、楽しい時間を過ごして、ホテルまでタクシーで送ってもらった。
大連のタクシーはきれいな車が多かったが、天津は以前のスターレットのような小さな車で、クーラーもなく、しかも汚い。
料金は同じで、初乗り8元だ。
部屋に戻り、リビングルームでくつろいでいるうちにソファーで寝てしまい、目覚めたら4時。
きっちり風邪を引いてしまった。
大連
2006年8月22日起床は6時。
部屋を片付け、バルサンを焚いた。
荷物を持って7時30分に家を出る。
大連は浦東空港からになる。
フライトは9時10分発。
急がねばならないのに、私が選んだルートは地下鉄&リニアモーターカー。
ケチったわけではないのだが、確実に行くルートを選んだ。
だが、このルートは我が家からは75分必要だ。
タクシーでの浦東空港直行ルートは早ければ50分で行く。
結果的にいつも時間がギリギリになる自分の生き方が嫌いだ。
そろそろ時間のゆとりを真剣に考えねばならない。
何とか、チェックインし、中に入って顧客への土産を買っていると、呼び出しのアナウンス。
それも私が乗る便の私が座る座席番号での呼び出しだ。
ゲートは国内線の一番端っこ。
重い荷物を持って必死に走った。
ギリギリ飛び乗って席に着いたら、出発予定時刻の5分前なのにすぐに動き出した。
誘導路を5分ほど走ったところで、なんとそのまま30分間も止まったままだ。
結局、離陸は9時45分になった。
十分な説明もないし(あっても今日のCAのアナウンスは聞き取りにくかった)、「EUだからこういうのはよくあること」とあきらめるしかないなと苦笑い。
案の定、遅れた分だけ律儀に加算され、大連空港着は予定の10時50分を30分上回った。
上海がこの2〜3日秋めいていたので、大連の涼しさの実感があまりない。
タクシーに乗ったら運転手はおばさん、でも飛ばす、飛ばす。
空港から労働公園の傍のホテルまで20分で着けた。
顧客が押さえてくれたホテルは5つ星ではなかった。
文句は言えないがチェックインしたくなくなるような古い3つ星のホテル。
次回ははっきりとリクエストを言わなければならない。
明日の天津が5つ星なのがささやかな救いだ。
部屋の掃除がまだ済んでいなかったので、先に到着していたL部長の部屋に荷物を置き、最上階の和食レストランで昼食を取った。
味はまあまあだ。
上海よりもいい。
13時に1軒目の顧客を訪ねた。
そこで約2時間、打合せをし、これからの業務提携について協議した。
その後、保税区にある顧客を訪問したが、16時にタクシーの運転手交替があるため、結局タクシーを2台乗り継ぎ、さらに運転手交替が別にあり、通常ならば45分で行くところを60分かかった。
約1時間半の打合せの後、再度1軒目の顧客に戻り、夕食をともにした。
食事は、勝利広場に面した韓国料理店での焼肉。
牛肉が嫌いだとはっきり言えばよかったが、何とか食べた。
21時過ぎ、お開きとし、ホテルに戻った。
自室に荷物を移し、よくよく見るとひどい部屋だ。
特に風呂がカビだらけで汚い。
シャワーの湯量がしょぼい。
薄暗く古臭い粗末な部屋、わけのわからないテレビなどなど、二度と泊まりたくないホテルだ。
上海の友人に電話したら、ゲームセンターのスロットマシンに魅入られたとのこと。
中国ではゲームや賭け事が盛んだ。
暇があると麻雀やカードをする国だ。
ところが私は賭け事やそういう遊びが大嫌いなのだ。
「賭け事に繋がる遊びなんかするなよ」
「私、賭け事大好きよ」
電話を切るしかなかった。
腹が立ってなかなか寝付けなかった。
冗談でもそういうことを言うやつは大嫌いだ。
部屋を片付け、バルサンを焚いた。
荷物を持って7時30分に家を出る。
大連は浦東空港からになる。
フライトは9時10分発。
急がねばならないのに、私が選んだルートは地下鉄&リニアモーターカー。
ケチったわけではないのだが、確実に行くルートを選んだ。
だが、このルートは我が家からは75分必要だ。
タクシーでの浦東空港直行ルートは早ければ50分で行く。
結果的にいつも時間がギリギリになる自分の生き方が嫌いだ。
そろそろ時間のゆとりを真剣に考えねばならない。
何とか、チェックインし、中に入って顧客への土産を買っていると、呼び出しのアナウンス。
それも私が乗る便の私が座る座席番号での呼び出しだ。
ゲートは国内線の一番端っこ。
重い荷物を持って必死に走った。
ギリギリ飛び乗って席に着いたら、出発予定時刻の5分前なのにすぐに動き出した。
誘導路を5分ほど走ったところで、なんとそのまま30分間も止まったままだ。
結局、離陸は9時45分になった。
十分な説明もないし(あっても今日のCAのアナウンスは聞き取りにくかった)、「EUだからこういうのはよくあること」とあきらめるしかないなと苦笑い。
案の定、遅れた分だけ律儀に加算され、大連空港着は予定の10時50分を30分上回った。
上海がこの2〜3日秋めいていたので、大連の涼しさの実感があまりない。
タクシーに乗ったら運転手はおばさん、でも飛ばす、飛ばす。
空港から労働公園の傍のホテルまで20分で着けた。
顧客が押さえてくれたホテルは5つ星ではなかった。
文句は言えないがチェックインしたくなくなるような古い3つ星のホテル。
次回ははっきりとリクエストを言わなければならない。
明日の天津が5つ星なのがささやかな救いだ。
部屋の掃除がまだ済んでいなかったので、先に到着していたL部長の部屋に荷物を置き、最上階の和食レストランで昼食を取った。
味はまあまあだ。
上海よりもいい。
13時に1軒目の顧客を訪ねた。
そこで約2時間、打合せをし、これからの業務提携について協議した。
その後、保税区にある顧客を訪問したが、16時にタクシーの運転手交替があるため、結局タクシーを2台乗り継ぎ、さらに運転手交替が別にあり、通常ならば45分で行くところを60分かかった。
約1時間半の打合せの後、再度1軒目の顧客に戻り、夕食をともにした。
食事は、勝利広場に面した韓国料理店での焼肉。
牛肉が嫌いだとはっきり言えばよかったが、何とか食べた。
21時過ぎ、お開きとし、ホテルに戻った。
自室に荷物を移し、よくよく見るとひどい部屋だ。
特に風呂がカビだらけで汚い。
シャワーの湯量がしょぼい。
薄暗く古臭い粗末な部屋、わけのわからないテレビなどなど、二度と泊まりたくないホテルだ。
上海の友人に電話したら、ゲームセンターのスロットマシンに魅入られたとのこと。
中国ではゲームや賭け事が盛んだ。
暇があると麻雀やカードをする国だ。
ところが私は賭け事やそういう遊びが大嫌いなのだ。
「賭け事に繋がる遊びなんかするなよ」
「私、賭け事大好きよ」
電話を切るしかなかった。
腹が立ってなかなか寝付けなかった。
冗談でもそういうことを言うやつは大嫌いだ。
英語学習
2006年8月21日起床は6時30分。
久しぶりに朝食のサンドイッチを買う。
いつも2個買っていたので、今日も店が勝手にそうした。
一つを私が食べ、もう一つを食べてもらっていたL部長は済南に帰っているので女性社員にあげた。
やはりここのサンドイッチは美味しい。
本社のHPに寄せられた蘇州の米国系企業からの英文での問合せが転送されて来ており、日本の本社とのやり取りなど、その対処に約1時間費やした。
私のいる職場では、日本語はできても英語のできる中国人がおらず、昨年の春に開業した時、このように中国では大卒でも英語がまるでできない人がいるというのが意外だった。
台湾ならば大卒・英語可が採用の条件という企業が多い。
電子工業界に勤める人が英語ができないと苦労すると思う。
今後、社員に対する英語学習のサポート制度を検討したい。
昼食は一人で1階の焼肉屋の日替わり定食。
最近はいつも誰かが一緒にいるので、一人メシはどうも美味くない。
店も一人が席を占拠するのを嫌がり、よく相席になる。
知らない相手と食べるのはやはり緊張する。
今日はおっさん二人との相席だった。
おっさんのほうが若い女性よりも食べ易い。
午後から浦東へ打合せに行く。
帰社後にメール処理、書類への押印など事務処理をし、明日からの大連〜天津出張の準備をする。
初めて行く大連はどんな街なんだろう。
アカシアの生い茂る道、古い建物が立ち並ぶ広場、写真集で見た戦前の大連の繁栄の跡が今もあるのだろうか。
奉天(今の瀋陽)、ハルピンと併せて、いつかゆっくり観光したい街である。
首のヘルニアが原因だが、左腕が常時しびれるようになってきた。
首の痛みに加え、時には左手が動かせないほどの麻痺は不安感を大きくする。
こうして文章を書いていても、左手が遅れたり、打ち方が弱かったりして誤字が多くなり、キーを打ち直す事が多くなった。
元々のヘルニアにノートブックPC症候群といわれる前傾姿勢による頚椎の負担増が加わり、障害がひどくなっている。
血圧、肝臓の問題もあり、長生きできそうもない身体になってきている。
摂生は自主的にする範囲ではゆとりがあるが、強制的になると逆に暗くなる。
今のうちに摂生を始めるとするか。
夜は、隣のオフィスの代表と「鮮箸坊」に行く。
やはりこの店は人気のある店だ。
彼は喜んでいた。
食後、早々に帰宅し、出張の荷造りをした。
久しぶりに朝食のサンドイッチを買う。
いつも2個買っていたので、今日も店が勝手にそうした。
一つを私が食べ、もう一つを食べてもらっていたL部長は済南に帰っているので女性社員にあげた。
やはりここのサンドイッチは美味しい。
本社のHPに寄せられた蘇州の米国系企業からの英文での問合せが転送されて来ており、日本の本社とのやり取りなど、その対処に約1時間費やした。
私のいる職場では、日本語はできても英語のできる中国人がおらず、昨年の春に開業した時、このように中国では大卒でも英語がまるでできない人がいるというのが意外だった。
台湾ならば大卒・英語可が採用の条件という企業が多い。
電子工業界に勤める人が英語ができないと苦労すると思う。
今後、社員に対する英語学習のサポート制度を検討したい。
昼食は一人で1階の焼肉屋の日替わり定食。
最近はいつも誰かが一緒にいるので、一人メシはどうも美味くない。
店も一人が席を占拠するのを嫌がり、よく相席になる。
知らない相手と食べるのはやはり緊張する。
今日はおっさん二人との相席だった。
おっさんのほうが若い女性よりも食べ易い。
午後から浦東へ打合せに行く。
帰社後にメール処理、書類への押印など事務処理をし、明日からの大連〜天津出張の準備をする。
初めて行く大連はどんな街なんだろう。
アカシアの生い茂る道、古い建物が立ち並ぶ広場、写真集で見た戦前の大連の繁栄の跡が今もあるのだろうか。
奉天(今の瀋陽)、ハルピンと併せて、いつかゆっくり観光したい街である。
首のヘルニアが原因だが、左腕が常時しびれるようになってきた。
首の痛みに加え、時には左手が動かせないほどの麻痺は不安感を大きくする。
こうして文章を書いていても、左手が遅れたり、打ち方が弱かったりして誤字が多くなり、キーを打ち直す事が多くなった。
元々のヘルニアにノートブックPC症候群といわれる前傾姿勢による頚椎の負担増が加わり、障害がひどくなっている。
血圧、肝臓の問題もあり、長生きできそうもない身体になってきている。
摂生は自主的にする範囲ではゆとりがあるが、強制的になると逆に暗くなる。
今のうちに摂生を始めるとするか。
夜は、隣のオフィスの代表と「鮮箸坊」に行く。
やはりこの店は人気のある店だ。
彼は喜んでいた。
食後、早々に帰宅し、出張の荷造りをした。