墓参り

2004年11月27日
あれだけ私を嫌っていた「妻」が私に墓参りを強く勧めた。
一緒についていってやるとまで言ってくれた。
あとでわかったことだが、瀬戸内寂聴さんに先祖を大切にしなさいと言われたとか。
それで今日、久しぶりに彼女と新幹線の旅となった。
行く先は静岡県、母が信心の都合で富士宮市にあるお寺に建てた父の墓へのお参りである。
父の墓はもう一箇所、金沢の寺にもある。
そこは我が一族の菩提寺で、本来の墓所だが、母は何を思ったか、富士のふもとにあるここにも墓を建てた。

無信心の私だが、この寺は古く、ゆったりとしていて、杉木立も立派で好きだった。
昔は訳がわからないままに母親と夜行の貸し切り列車にのり、バスを乗り継いで、何度か連れてきてもらった。
大きな寺という畏敬とすごい人の数に驚かされた。
大人になってからは、自分で車を運転して墓参りに何度か行ったが、遠いという印象だけが残っている。
片道6時間ほどかけて向こうに着いたら約2時間ほどで用事が終わり、すぐにとんぼ返り。
そんなドライブを始めてからも30年経った。
不思議と雨降りの日はなかった。

墓参りとしては10回を越えたこの旅も、今回は大きな節となる。
上海へ行ったら当分は墓のオヤジに会えない。
「妻」が勧めてくれたのも初めてのことだ。
私の上海行きを彼女なりに重く考えているからだろう。

ふたりの間に「離婚」という深い溝を作ったのは彼女だ。
その彼女に、私が上海へ行った後、息子とこのマンションに住んで欲しいと頼んでいる。
今も承諾の言葉はもらっていないし、聞けば必ず不承知と言うがすでに気持ちは私の希望する方向で固まっているようだ。
それが証拠に、今回の墓参があると考える。
彼女が私の父に何を祈ったのか、何を約束したのか、それは彼女と墓の中のオヤジしか知らない。

新大阪から浜松までは「ひかり264号」。
そこからは「こだま450号」に乗り換えて新富士へ。
新富士駅からはバスに乗り、約55分で寺に着いた。
閑散とした景色はこれまでに何度か見ているが、今日、改めてそのひどさを見せつけられた。
これがかつて毎日何千人という参詣者を受け入れていたあの賑わいの寺と同じか、と目を疑うほどひどい寂れようだ。

宗門と日本最大の信徒組織が対立し、それぞれのメンツへのこだわりが破門という最悪の結果を生み、多くの善男善女がそれこそ路頭に迷っている。
私の母も信者組織の活動はしないが強信の人である。
自分の浄財で建てられたものが愚かな対立で壊されたり、墓参にも不便を感じていたようだ。
かつては宿坊か民宿で泊ってまで過密なスケジュールを組んでいたのに、何もなくなり、墓に参るだけの総本山参詣となっていた。
恐らく破門された信者組織の中には母のように純粋に信心活動だけを求めていた人も多いはず。
寺側にしても、この寂れようは尋常ではなく、一桁違う信者数となっては寺格の維持も難しいだろうと私は思う。
いい加減に双方が折れて歩み寄る必要があるが、確執を作った当の張本人同士が引退でもしない限りはそれも無理だろう。
ある意味で人民(一般信徒)不在のひどい話である。

駐車場から墓苑まで緩やかな上りの広い境内をゆっくりと歩く。
同行する人も行き交う人もない。
小春日和という言葉がピッタシで少し歩くと汗ばむ日、上着を脱いで二人で歩く姿は、他人の目にはおしどり夫婦と見えるだろう。
この寺の特徴は開山700有余年を経て、建物もだが、何よりも杉木立が立派だ。
日差しが遮られたその中を歩くと、夏でさえひんやりとして少し肌寒さを感じるが、風のない11月の今日はあまり寒くなく、上着を着ないでも十分に快適だった。

富士が真正面にきれいに見える位置にオヤジの墓がある。
確かにここの景色は素晴らしい。
私も日本人だなと思うことの一つに、富士山を敬い、その姿を一日中見ていても私は飽きないということがある。
オヤジに毎日この景色を見せてやりたいと思った母の気持ちがわかった気がした。
私が死んだら誰がこういう気遣いをしてくれるのだろうか。

墓はさほど荒れてはいなかった。
ただ、敷地内に植えてある榊が4〜5mにもなり、枝がかなり伸びていた。
前回、剪定をしたのは10年ほど前のこと。
その間の年月を感じるに十分だった。

墓を掃除し、買ってきた榊(ここではしきみと言うらしい。通常はしきびなのだが・・・)を供え、線香をあげた。
ろうそくは山火事防止のため禁止されている。
「妻」はそっと持ってきたビールとコップを出して、オヤジに供え、自分も飲みだした。
つまりオヤジと乾杯、というわけだ。
自分の父の墓と同じようにしっかり掃除をしてくれたし、こういう風にビールを酌み交わす姿を見て、私の中にこれまでと違った彼女への評価が出来始めているのを自覚していた。
「墓で写真なんて・・・」とためらう彼女に無理に頼んで墓を背景にした私の写真を撮ってもらったら、輪郭が光って合成写真のようなかなり不気味なものになった。
きっと墓の中のオヤジが怒っているのだろう。

食事抜きだったので何かを食べようと商店の立ち並ぶ参道に入って驚いた。
まるでゴーストタウン、土曜日なのにほとんど客がいないし、営業している店もまばらだ。
いつもはここで、大して美味くもないが何かを食べ、土産を買うのだが、やめた。
やはり異常だ。
二人はジュース1本で空腹を凌いだ。
バスが来るまで1時間半ほど、富士山を眺め、写真を撮り、そこらをゆっくり歩いて時間をつぶした。
新富士駅では15分ほどしかなく、途中静岡でのひかりへの乗り換えもスムーズだったので、食べる時間が作れず、列車で何かを食べるということに抵抗のある私に合わせて、二人とも、結局、大阪まで食事をしなかった。

ひかり277号が新大阪駅に着き、在来線で大阪駅まで出たのは18時15分、二人はようやく食事をとった。
朝飯を食べていない私にとっては今日初めての食事だ。
食事の後、梅田の街をあっちこっち歩いて、買い物をした。
そういえば昨年の今頃、彼女と芝居を観て梅田を歩いたのを思い出した。
この人は今も私を嫌いだと広言してはばからないのだが、でも、なんだかんだあってももう切り離せない腐れ縁が出来ているのだろう。

私はそれでもよいと思っている。
いつでも受け入れられる心の用意はある。

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