上海についてのセミナー
2004年12月10日午後から大阪商工会議所が主催するセミナーに参加した。
講師は、来春から勤める会社が設立する現地法人、つまり私の職場である中国の会社の顧問をしてくれているコンサル会社の社長で、既に面識がある。
長年、上海で住み、いろいろな企業の中国進出のお手伝いやもめ事の解決を生業とされてきているだけに、40歳と若いのに経験が豊富で非常に頼もしい。
我が新会社もかなりお世話になるだろう。
13時30分から17時まで、途中で15分の休憩を挟んで3時間15分、彼はいろいろなことを独特の口調でわかりやすく話してくれた。
150名ほどの聴衆の反応はよく、そのセミナーは盛会だったといえる。
ただ、あれもこれも・・・の調子が多少あり、上海や中国の事情をよく知らない人にはついて行きにくいところがあると思った。
こういうものは、その件について語る人と聞く人の高さの違いが顕著に出るものだ。
易し過ぎてもいけないし・・・、その距離感を設定し、反応に応じてコントロールしてゆかなくてはいけない。
私もかつて銀行の依頼で講演をしていた時期がある。
丁度彼の年頃の時だ。
社員教育研修や市場調査についての私なりの方法が知る人ぞ知るになり、プロモーターをしている親しい友人の頼みで銀行主催のセミナーに担ぎ出されたことがある。
初めは反応を計る事など到底出来なかったが、回数を重ねるごとに面白いように聴衆を引き込めることがわかった。
上海セミナーと違って、私のテーマは日常の中での私独特の方法の解説だからまだやりやすいのだろう。
中小企業の経営者が銀行との付き合いとはいえ、空いている時間に何かの参考にと聞きに来るのだから、初めから目的を持って「勉強」にくるものとは自ずと厳しさが違ってくる。
あまり当てにしないでやってきたら結構面白い話、ということだ。
意外な成果に聴衆は喜んだのだろう。
その時のことを、自慢たらしいがちょっと書いておこう。
当初、なんの経歴も書けない若輩者の私を紹介された銀行の担当者は、かなりきつい口調で私の友人をなじった。
自分がしゃべった方がましだとまで言った。
しかし、他の人と交代するには時間がないという理由で、とにかく手短にしてくれという指示を聞いたとき、屈辱感でやめたいと思ったが、友人の顔を立てて我慢して出た。
銀行マン、ホテルマン、デパートマン・・・、私はこの3つに代表される人種が好きになれない。
客と客でない人との応対の差が激しすぎるからだ。
これについては後日また書くこともあろう。
初めての講演、準備も何をすればよいかわからない中で無為に時間が過ぎ、いざ本番という時は心臓が踊り、約300名の聴衆を前にしたとき、足はガクガク震えた。
でも、話し始め、しばらくして聴衆のメモをする音が聞こえたとき、自分の中に不思議な落ち着きが出てきているのに気付いた。
新人研修についてだったが、ポイントを整理し、幾つかのことわざでくくる手法をわかり易くまとめた話に興味を持ってくれた人が多く、舞台袖からの「巻き」の合図を無視して約60分話した。
質疑応答など不要だとその担当者から言われていたが、会場の反応は違った。
聴衆の質問は30分以上続き、後は個別で、ということで1時間オーバーで締めた。
終わってからその銀行の役員が最敬礼して感謝を述べてくれた。
担当者はばつ悪そうに居並ぶ幹部の後ろにいた。
友人と「してやったり」を肴に酒が飲めると思ったが、そんな気持ちはすぐにとんだ。
毎週であと4回、同じところで・・・、冗談じゃない、俺にはそんな時間などない・・・。
結局、その銀行の講演はあと9回することになった。
ギャラは・・・、第1回はお車代程度だったものが、2回目からは一桁上になった。
サラリーマンとしてはメチャ美味しい小遣い稼ぎとなったことは確かだ。
それよりも、私の中にいくつもの財産が出来た。
自論を整理し、磨き、本を書けるまでに練り上げることが出来た。
残念ながら出版の声はかからなかったが・・・。
そして、何よりも、人前で話す楽しさを知った。
その後もたまにその友人の依頼であちこちで話したが、景気が悪くなり、回数は激減し、ギャラも大きく減った。
時代が変わった。
バブル期の夢のような話だった。
考えてみれば、あの頃は何をしてもネタになったし、金になったと思う。
日本中が浮かれていた時期だった。
講師は、来春から勤める会社が設立する現地法人、つまり私の職場である中国の会社の顧問をしてくれているコンサル会社の社長で、既に面識がある。
長年、上海で住み、いろいろな企業の中国進出のお手伝いやもめ事の解決を生業とされてきているだけに、40歳と若いのに経験が豊富で非常に頼もしい。
我が新会社もかなりお世話になるだろう。
13時30分から17時まで、途中で15分の休憩を挟んで3時間15分、彼はいろいろなことを独特の口調でわかりやすく話してくれた。
150名ほどの聴衆の反応はよく、そのセミナーは盛会だったといえる。
ただ、あれもこれも・・・の調子が多少あり、上海や中国の事情をよく知らない人にはついて行きにくいところがあると思った。
こういうものは、その件について語る人と聞く人の高さの違いが顕著に出るものだ。
易し過ぎてもいけないし・・・、その距離感を設定し、反応に応じてコントロールしてゆかなくてはいけない。
私もかつて銀行の依頼で講演をしていた時期がある。
丁度彼の年頃の時だ。
社員教育研修や市場調査についての私なりの方法が知る人ぞ知るになり、プロモーターをしている親しい友人の頼みで銀行主催のセミナーに担ぎ出されたことがある。
初めは反応を計る事など到底出来なかったが、回数を重ねるごとに面白いように聴衆を引き込めることがわかった。
上海セミナーと違って、私のテーマは日常の中での私独特の方法の解説だからまだやりやすいのだろう。
中小企業の経営者が銀行との付き合いとはいえ、空いている時間に何かの参考にと聞きに来るのだから、初めから目的を持って「勉強」にくるものとは自ずと厳しさが違ってくる。
あまり当てにしないでやってきたら結構面白い話、ということだ。
意外な成果に聴衆は喜んだのだろう。
その時のことを、自慢たらしいがちょっと書いておこう。
当初、なんの経歴も書けない若輩者の私を紹介された銀行の担当者は、かなりきつい口調で私の友人をなじった。
自分がしゃべった方がましだとまで言った。
しかし、他の人と交代するには時間がないという理由で、とにかく手短にしてくれという指示を聞いたとき、屈辱感でやめたいと思ったが、友人の顔を立てて我慢して出た。
銀行マン、ホテルマン、デパートマン・・・、私はこの3つに代表される人種が好きになれない。
客と客でない人との応対の差が激しすぎるからだ。
これについては後日また書くこともあろう。
初めての講演、準備も何をすればよいかわからない中で無為に時間が過ぎ、いざ本番という時は心臓が踊り、約300名の聴衆を前にしたとき、足はガクガク震えた。
でも、話し始め、しばらくして聴衆のメモをする音が聞こえたとき、自分の中に不思議な落ち着きが出てきているのに気付いた。
新人研修についてだったが、ポイントを整理し、幾つかのことわざでくくる手法をわかり易くまとめた話に興味を持ってくれた人が多く、舞台袖からの「巻き」の合図を無視して約60分話した。
質疑応答など不要だとその担当者から言われていたが、会場の反応は違った。
聴衆の質問は30分以上続き、後は個別で、ということで1時間オーバーで締めた。
終わってからその銀行の役員が最敬礼して感謝を述べてくれた。
担当者はばつ悪そうに居並ぶ幹部の後ろにいた。
友人と「してやったり」を肴に酒が飲めると思ったが、そんな気持ちはすぐにとんだ。
毎週であと4回、同じところで・・・、冗談じゃない、俺にはそんな時間などない・・・。
結局、その銀行の講演はあと9回することになった。
ギャラは・・・、第1回はお車代程度だったものが、2回目からは一桁上になった。
サラリーマンとしてはメチャ美味しい小遣い稼ぎとなったことは確かだ。
それよりも、私の中にいくつもの財産が出来た。
自論を整理し、磨き、本を書けるまでに練り上げることが出来た。
残念ながら出版の声はかからなかったが・・・。
そして、何よりも、人前で話す楽しさを知った。
その後もたまにその友人の依頼であちこちで話したが、景気が悪くなり、回数は激減し、ギャラも大きく減った。
時代が変わった。
バブル期の夢のような話だった。
考えてみれば、あの頃は何をしてもネタになったし、金になったと思う。
日本中が浮かれていた時期だった。
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