ネクタイ
2004年10月22日いつものように9時過ぎに出社。
風邪のせいか、喉が痛い。
早速数件分のアポの連絡が入る。
10時からの来客はネクタイメーカー。
商談をし、ネクタイの傾向をきくと、もうすぐ私の好きなペイズリー柄が出てくるという。
待ってました。
私はペイズリーしか締めない。
勿論、トラッド好きの私はレジメンタルタイもかなり持ってはいるが、今はペイズリーだけ。
来客のメーカーもそのことは承知していて、次に来る時は新柄を持ってくるという。
何本か買わせてもらうことにした。
楽しみである。
私は背も低く、汚れ顔なので、おしゃれが似合うタイプではない。
だから流行は追わず、着るものにあまり金をかけることはない。
でも、私なりのこだわりは持っている。
スーツはセンターベントの二つ釦、シャツは綿のオックスが基調、タイはペイズリー、靴はリーガルのトラタイプ、つまり、定番勝負なのだ。
ついでに、下着は白のTシャツにグレーの「BODY WILD」ニットボクサーパンツ。
年中こんな格好だ。
結構安上がりで、これで20年以上やって来た。
会議と来客の合間に、アシスタントのKさんと喫茶室へ行き、来春の退社を告げ、これまでの協力を感謝した。
部内の総合職の男性陣はヒヤリングなどの会議で既に知っているが、一般職の人たちは正式な人事発令が出る来年二月初旬までは通知がないので、私自身が今のうちに直接話すことにした。
来週月曜日にはその他の女性陣も含めて昼食をご馳走して同様に謝意を伝えるつもりだ。
し残した仕事は数多く、あと4ヶ月あまりで何処まで出来るか分からないが、精一杯やってゆこうと思う。
11月にはいると所持している資料の整理をし、既に後任が決まっているため早めの引継ぎ作業に入る。
私が1年半前に異動で着任した時は引継ぎはたった1日間で苦労したが、今回はそれを無くそうと、かなり早い目から行うことにした。
しかし、私は前任者からの引継ぎ分だけでなく、新たな役割も担っている。
私の後任者は仕事が多く、大変だと思う。
でも、出来ない部分は他の人に分担してもらってでもがんばってやってもらうしかない。
私が策定したアクションプランを途中で放り出してゆくことは確かにつらいし、多くの顧客には申し訳ないと思うが、後任者は働き盛りの有能な人であり、迷惑を掛けることはないと確信している。
この会社に入れたことは本当に幸運だった。
好きな会社だから、難しい条件でも頑張ってやってこれた。
大企業において中年からの中途採用は珍しく、仕事の制限が非常に多かったが、実力を示し、ステップ・バイ・ステップでなくしていった。
多くの人の支援を仰ぎ、制限の多い中でもやりたいようにやらせて貰えた。
その中で幸運にも結果が残せ、それが評価され、異例の処遇ももらえた。
そして、仕事を通じて社内外に多くの友人が出来、生涯付き合える仲間も出来た。
さらに、幾つかの顧客から誘いを受け、今般の上海行きとなった。
まだ振り返るのには早いと思うが、ラッキーだったし、良いサラリーマン生活だったと思う。
自分の身体一つで勝負し、自分流で頑張ってきた。
それは私の生き様であり、雑草の哲学でもある。
一流大学から一流企業へという道を途中で脱線し、安易な逃避の如き選択をした後悔がずっと重くのしかかっていた私であったが、小さな企業で頑張り、妻を娶り、脱サラして人脈の有難さを知り、再度今の会社でサラリーマンに戻って仕事の何たるかを学び、他の人では味わえないものも堪能できたし、今また新たなことに挑戦するチャンスを得た。
私はこんな自分の人生を、子供たちに胸を張って見せることの出来るものであると自画自賛している。
風邪のせいか、喉が痛い。
早速数件分のアポの連絡が入る。
10時からの来客はネクタイメーカー。
商談をし、ネクタイの傾向をきくと、もうすぐ私の好きなペイズリー柄が出てくるという。
待ってました。
私はペイズリーしか締めない。
勿論、トラッド好きの私はレジメンタルタイもかなり持ってはいるが、今はペイズリーだけ。
来客のメーカーもそのことは承知していて、次に来る時は新柄を持ってくるという。
何本か買わせてもらうことにした。
楽しみである。
私は背も低く、汚れ顔なので、おしゃれが似合うタイプではない。
だから流行は追わず、着るものにあまり金をかけることはない。
でも、私なりのこだわりは持っている。
スーツはセンターベントの二つ釦、シャツは綿のオックスが基調、タイはペイズリー、靴はリーガルのトラタイプ、つまり、定番勝負なのだ。
ついでに、下着は白のTシャツにグレーの「BODY WILD」ニットボクサーパンツ。
年中こんな格好だ。
結構安上がりで、これで20年以上やって来た。
会議と来客の合間に、アシスタントのKさんと喫茶室へ行き、来春の退社を告げ、これまでの協力を感謝した。
部内の総合職の男性陣はヒヤリングなどの会議で既に知っているが、一般職の人たちは正式な人事発令が出る来年二月初旬までは通知がないので、私自身が今のうちに直接話すことにした。
来週月曜日にはその他の女性陣も含めて昼食をご馳走して同様に謝意を伝えるつもりだ。
し残した仕事は数多く、あと4ヶ月あまりで何処まで出来るか分からないが、精一杯やってゆこうと思う。
11月にはいると所持している資料の整理をし、既に後任が決まっているため早めの引継ぎ作業に入る。
私が1年半前に異動で着任した時は引継ぎはたった1日間で苦労したが、今回はそれを無くそうと、かなり早い目から行うことにした。
しかし、私は前任者からの引継ぎ分だけでなく、新たな役割も担っている。
私の後任者は仕事が多く、大変だと思う。
でも、出来ない部分は他の人に分担してもらってでもがんばってやってもらうしかない。
私が策定したアクションプランを途中で放り出してゆくことは確かにつらいし、多くの顧客には申し訳ないと思うが、後任者は働き盛りの有能な人であり、迷惑を掛けることはないと確信している。
この会社に入れたことは本当に幸運だった。
好きな会社だから、難しい条件でも頑張ってやってこれた。
大企業において中年からの中途採用は珍しく、仕事の制限が非常に多かったが、実力を示し、ステップ・バイ・ステップでなくしていった。
多くの人の支援を仰ぎ、制限の多い中でもやりたいようにやらせて貰えた。
その中で幸運にも結果が残せ、それが評価され、異例の処遇ももらえた。
そして、仕事を通じて社内外に多くの友人が出来、生涯付き合える仲間も出来た。
さらに、幾つかの顧客から誘いを受け、今般の上海行きとなった。
まだ振り返るのには早いと思うが、ラッキーだったし、良いサラリーマン生活だったと思う。
自分の身体一つで勝負し、自分流で頑張ってきた。
それは私の生き様であり、雑草の哲学でもある。
一流大学から一流企業へという道を途中で脱線し、安易な逃避の如き選択をした後悔がずっと重くのしかかっていた私であったが、小さな企業で頑張り、妻を娶り、脱サラして人脈の有難さを知り、再度今の会社でサラリーマンに戻って仕事の何たるかを学び、他の人では味わえないものも堪能できたし、今また新たなことに挑戦するチャンスを得た。
私はこんな自分の人生を、子供たちに胸を張って見せることの出来るものであると自画自賛している。
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