10年前の今日、我々関西に住む者はとんでもない体験をした。
南大阪に住む私は直接的にはさほど大きな被害を受けなかったが、神戸市、淡路島、阪神間の人々は悲惨な目にあった。
今もって心の痛む出来事である。
同じように、近年天災にみまわれた中越地震の被災者も、台風23号の被災者も、三宅島の人も、本当に気の毒であり大変だと思う。

こういう局地的な災害に対して、他の地域に住む者は、同情こそすれ、その悲しみを代わって受けることなど出来ない。
やらないよりもやるほうがいい、というボランティア精神で何かしたいと考え、私もできることを行ってはいる。
そして、多くの人の悲しみが少しでも癒されるようになって欲しいと本気で望んでいる。

ただ、よく言われる事に、「この大災害を風化させてはいけない」とか、「決して忘れてはいけない」という言葉がある。
多くの人が死んだ事実を言うのか。
結果的に防災対策が重要だとわかったことか。

私は何人かの友人が亡くなったこの出来事を決して忘れない。
しかし、本当は忘れたいのかもしれない。
風化させたらいけないとは思っていないのかもしれない。
あんな苦しみはどこかかなたへ放り出して忘れてしまえばよい。

二度と味わいたくないから様々な事を教訓にするのではなく、味わいたくないから味わわないようにすればよいのだ。
家の建て方、日頃の心準備とケーススタディの反復学習、生命保険、地震保険などなど。
打てる手は打てばいい。
自治体や国はずっと後でないと助けてくれない。
それならば自分で守らなきゃ。

そういう対策が打てた段階で、あの忌まわしい出来事は記憶の中から消し去ってしまうべきかも知れない。
そういう考えも重要ではないか。
北西を向き、多くの御霊に手を合わせながら、人の命の軽さと重さを問い直していた。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索