未熟だからこそ

2005年1月24日
土日を何もしないで過ごした後遺症はいくらかあった。
北陸出張の今日、それをリカバーすることはできなかった。
でも、リフレッシュの効果もあった。
相殺すれば4:6で後者の勝ち。

仕事の遅れは取り戻せるが、気持ちのおくれは挽回が難しい。
今の私の不安定要素の多い精神状態では自分をいたわることに重点を置かざるを得ない。
順風満帆に見えている時ほど、内面はズタズタになっていることが多い。
一見何事も思うように進んでいるかに見えても、その実は何も安定的なものはなく、見通しの立たない中での手探りで場当たり的な対応に必死になっている。
それが私の今の実態であり、自分自身を鼓舞することで何とかもたせているのである。
だから、余裕などまったくなく、少しでも何かの力が加わればもろく崩れてしまう。
目前の事態への予防策で精一杯だ。

腰の調子がおかしいなと思うと背中にカイロを貼ることにしている。
暖めて背中の緊張を緩めることで腰痛を予防するのだ。
それと同じで、心が空中分解を起こしそうになっている時は何もせずに放心状態でいようと思っている。
どうしようもない年齢の重みを感じながらこれまで懸命に生きてきた結果、私が体得した一つの防御システムだ。

既に人間として完成度を高めていなければならない年齢にさしかかってもまだ低い次元で悩んでいる愚かな男は、その未熟さゆえに冷静な判断も出来ず、身の程知らずの幻想から脱却できない状態にいる。
情けない限りではあるが、実は悪いことばかりでなく、ものがきちんと見えていないからこその面白さもそこにはある。
全てを見通していると感じることのできない可能性への期待感、遠慮のないアクションが作り出す躍動感、そして些細な成果を心から喜び誇る素直さは、離れた場所で客観的に見ている人には得られない感動そのものなのだ。
未熟だからこそ得られる発見の喜び、それは胸を張って声高に知らせることの出来る人生の楽しさそのものであり、生きている証かもしれない。

未熟だからこそ、生きている実感がある。
もっと悩め、老いたる私よ。

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