何度も通った延安高架道路を約20分西へ進み、虹橋副都心にあるホテルに到着。
この地域は現在勤める会社を始め、多くの日本企業が集まっていて、人気のある地域だ。
私は何度もここを訪れており、いつもは太平洋シェラトンか揚子江ルネッサンスに泊る。
だが、今回はコンサル会社の予約で虹橋賓館。
一見していつものホテルより格が下で、客も日本人より他のアジア人が多い。

私の表情を読み取ってか、Y社長が感想を聞いたので、はっきりと意見を言った。
彼はここが3度目だがあまり違和感はなかったという。
しかし、他のホテルを知っている私は格落ちのホテルをいいと思うはずがなく、彼は珍しく私に弁解していた。

この虹橋に事務所を置きたいと言う私の理由は、まず主要顧客である日系企業が集まっていること、様々な情報が入りやすいこと、工場への地の利があること、グレードが高いこと、住まいが近いこと。
確かに家賃は高いが、他の地域にはない利便性と安心がある。
他の地域を考えていたY社長は最初、私の考えをなかなか理解できなかったようだ。

コンサル会社の担当者はなかなか段取りがよく、チェックインして部屋に荷物を置く間に不動産屋を呼んでいた。
早速、事務所の物件を5つ見せてもらったが、どうもピンと来ない。
地元の不動産屋ではやはり私のこだわりが理解できないのだろうか。
いや、地元事情に精通するコンサル担当者とY社長の事前打ち合わせに沿った物件といえるものだが、私がもっと上のグレード感を重視しているからだろう。
結局、明後日に再度プレゼンということになったが、新たなものは期待できず、このままでは拉致があかない様子だ。

不動産屋が帰り、翌日の段取りを決めてコンサルのT女史も帰って、オッサン三人で食事に行った。
行く先は華山路にある私の好きな上海料理のガーデンレストラン。
食事の途中で、今回決めないとあとの予定が全て狂うので「どうしようか」とのY社長の言葉があり、どうも私が条件を下げることを期待しているようだったので、敢えて私の人脈を活かしたいと申し出て、知人にコンタクトすることにした。

携帯電話の番号を控えてこなかったので、連絡は翌朝にすることとし、「ま、何とかなるでしょう」と能天気な私に対し、Y社長は少しイラつき気味だった。
食事を終え、タクシーで一旦ホテルに戻り、部屋で仕事をするというY社長を置いて、I部長と二人で夜の街へ出た。

タクシーで何度も延安路を往復するのも不経済だったが、This is ShangHaiたる外灘へ行き、黄浦江越しに浦東の高層ビルを見て、和平飯店へ入った。
勿論オールドジャズを聴くためで、案内された席が柱で見えにくかったので勝手に正面の予約席に移り、平然とオーダーした時、トランペット奏者のバンマスがこちらを向き挨拶をしたので、立って彼のところへ行き握手をして「久しぶり。元気ですか」というと「好好。謝謝。今日来たのか」と聞いてきた。
短い会話を交わし、席に戻ると服務員はやっと私を思い出したようだった。

時間がなかったので約30分だけ聞いて、ホテルを出た。
バンマスが元気なかった。
もう齢80を越えるだろう。
いつまでも元気でがんばって欲しいと思った。

南京東路をブラブラ歩き、お茶やCDを買ったが、遅いから店のほとんどは仕舞いかけていた。
歩行者天国も人通りが少なくなると客引きがすごい。
2年前には感じなかったが、この間の変化はこういうところにも現れていた。
人民広場に着くまでに、ゆうに30人以上の客引きから「オンナ要らないか」風の声を掛けられた。
やめてくれ、こっちは確かに出張者だが、駐在候補生だ。
危険なその手のオンナのお世話にはなりたくない。
「不要!!、不要!!」

さてそろそろタクシーで帰ろうかと思ったら、タクシーがなかなか拾えない。
これまた2年前と違う風景だ。
つまり景気がいいということか、市民が豊かになったということだろう。
そういえばレストランだって2年前にはまだまだ当地の家族連れが少なかったが、今夜は違っていた。

前回、前々回に泊ったウエスティンホテルならもっとタクシーは多かっただろうが、そこまで戻るのも大変だから、マリオットホテルで行列に並んでようやくタクシーにありついた。
部屋に帰ったのは午前零時。
荷物を開梱し、PCをつなぎ、仕事を片付け、入浴して就寝は午前2時半。

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