上海プレ・ポジション?第1日 −その1
2005年1月27日今日から2泊3日で上海へ来た。
3月から来るにしても、実はまだ何にも決まっていないのである。
そこで、今回のミッションは、まず工場の進捗状況の確認、次に上海オフィスの決定、そして上海オフィススタッフの人選である。
よく考えれば、単身赴任だけでも大変。
さらにそれが初めての海外勤務。
も一つおまけに、新事業の立ち上げ。
えーい、まとめて、現地法人の開設、となれば、大変を何乗も重ねることになる。
今回、同行するのは、3月からの新しいボスのY社長、その本社の品管部長のI氏のお二人。
共に私より年長だから、3人足すとすごい年齢で、170歳を越える。
大体、プロジェクトの理想は3名で100歳以下だから、今回のは大きく離れており、ゆうに170%という数字になる。
つまり、判断力はかなり高いが、プロジェクトに欠かせないフットワークと持久力が欠乏している編成であるということ。
唯一の救いは、3名とも好奇心が旺盛であるということ。
東京からのY氏とは上海空港で落ち合うということで、関西からの私は京都在住のI氏と共に上海へ向かう事になった。
関西空港駅で待ち合わせ、いつものようにJALカウンターでチェックイン。
今回は、まだ入社していない会社の業務のため、私は年次休で今の会社を休んだ。
私の分の旅費その他必要な経費は全てY氏が支払ってくれるため、私は小遣い程度ですむ。
とはいえ、3月からの私の仕事で行くのであるから、それなりの支出はするつもりでいる。
ボーディングチケットをI部長から渡され、封筒を見ると旅行社は関西私鉄系のあまりメジャーじゃないところ。
私が日頃使っている会社ならアップグレードも期待できたが、ここじゃ恐らくないだろう。
ちょっとぐらい安くても、小さな旅行社では枠の確保、プラスアルファのサービスが得られない。
その差がどれだけのものかを知る人はメジャーなエージェントに頼む。
中国が初めてというI部長を案内して、イミグレーションを通過し、ラウンジで荷物を置いて、免税店へ。
途中に仕事の電話があり、処理しながらも買い物を終え、ラウンジに戻ろうとすると、会社の後輩に会った。
彼らはかつて私が担当していた素材の後任者で、その販売先開拓の為いにこれから台湾へ行くという。
私はその素材を購入し使用する会社の一員として上海への出張。
立場の違いが偶然にも同じ日の海外出張でより鮮明となった。
この素材こそ私が創出し残した事業で、その功績が今日の私の転職のきっかけとなっている。
先に搭乗する彼らを激励して送り出し、自分達も出発時間に合わせてゲートへ向かった。
機材はボーイング777。
新しいし、スペース、推力共にゆったりしている好きな機種だ。
上昇が落ち着いたらすぐに食事を運んでくる。
いつも思うが、JALの客室乗務員は忙しそうにする。
そういう風に教育されているのだろう。
だから好感は持てない。
本当に忙しくても、ゆったりとしていなければ、客はリラックスできない。
JALが批判されているのはここなのだが、まるで気付いていない。
JAL離れが進むのは当然だ。
食事のあとは免税品の販売。
これはというものは少ない。
日本への土産を先に買っていたら、2時間のフライトはあっという間に過ぎ、上海浦東空港に着いた。
23番スポット、いつもながら関西からの便はうんと歩かされる。
広い空港の端から真ん中へきっちり歩く。
検疫を抜けるとイミグレーション。
これもこの空港の特徴で、とにかく並ばされる。
職員の公務員意識のためか、はたまた国の安全を両肩に担っているためか。
どうみても前者だ。
「人手が足りない」と言わんばかりに・・・。
ターンテーブルで荷物を受け取って、東京から来るY氏を待つこと10分、エスカレーターで降りてくる姿に手を振って挨拶。
出迎えのコンサル会社の運転手Yさんの運転する高級車で市内へ。
2年前よりもひどい道路渋滞で約1時間かかって外灘の近くにあるコンサル会社のオフィスに着いた。
久しぶりの社長を満面の笑顔を見、担当のT女史も加わって約30分間今回の出張内容の打合せをし、虹橋のホテルへ向かった。
3月から来るにしても、実はまだ何にも決まっていないのである。
そこで、今回のミッションは、まず工場の進捗状況の確認、次に上海オフィスの決定、そして上海オフィススタッフの人選である。
よく考えれば、単身赴任だけでも大変。
さらにそれが初めての海外勤務。
も一つおまけに、新事業の立ち上げ。
えーい、まとめて、現地法人の開設、となれば、大変を何乗も重ねることになる。
今回、同行するのは、3月からの新しいボスのY社長、その本社の品管部長のI氏のお二人。
共に私より年長だから、3人足すとすごい年齢で、170歳を越える。
大体、プロジェクトの理想は3名で100歳以下だから、今回のは大きく離れており、ゆうに170%という数字になる。
つまり、判断力はかなり高いが、プロジェクトに欠かせないフットワークと持久力が欠乏している編成であるということ。
唯一の救いは、3名とも好奇心が旺盛であるということ。
東京からのY氏とは上海空港で落ち合うということで、関西からの私は京都在住のI氏と共に上海へ向かう事になった。
関西空港駅で待ち合わせ、いつものようにJALカウンターでチェックイン。
今回は、まだ入社していない会社の業務のため、私は年次休で今の会社を休んだ。
私の分の旅費その他必要な経費は全てY氏が支払ってくれるため、私は小遣い程度ですむ。
とはいえ、3月からの私の仕事で行くのであるから、それなりの支出はするつもりでいる。
ボーディングチケットをI部長から渡され、封筒を見ると旅行社は関西私鉄系のあまりメジャーじゃないところ。
私が日頃使っている会社ならアップグレードも期待できたが、ここじゃ恐らくないだろう。
ちょっとぐらい安くても、小さな旅行社では枠の確保、プラスアルファのサービスが得られない。
その差がどれだけのものかを知る人はメジャーなエージェントに頼む。
中国が初めてというI部長を案内して、イミグレーションを通過し、ラウンジで荷物を置いて、免税店へ。
途中に仕事の電話があり、処理しながらも買い物を終え、ラウンジに戻ろうとすると、会社の後輩に会った。
彼らはかつて私が担当していた素材の後任者で、その販売先開拓の為いにこれから台湾へ行くという。
私はその素材を購入し使用する会社の一員として上海への出張。
立場の違いが偶然にも同じ日の海外出張でより鮮明となった。
この素材こそ私が創出し残した事業で、その功績が今日の私の転職のきっかけとなっている。
先に搭乗する彼らを激励して送り出し、自分達も出発時間に合わせてゲートへ向かった。
機材はボーイング777。
新しいし、スペース、推力共にゆったりしている好きな機種だ。
上昇が落ち着いたらすぐに食事を運んでくる。
いつも思うが、JALの客室乗務員は忙しそうにする。
そういう風に教育されているのだろう。
だから好感は持てない。
本当に忙しくても、ゆったりとしていなければ、客はリラックスできない。
JALが批判されているのはここなのだが、まるで気付いていない。
JAL離れが進むのは当然だ。
食事のあとは免税品の販売。
これはというものは少ない。
日本への土産を先に買っていたら、2時間のフライトはあっという間に過ぎ、上海浦東空港に着いた。
23番スポット、いつもながら関西からの便はうんと歩かされる。
広い空港の端から真ん中へきっちり歩く。
検疫を抜けるとイミグレーション。
これもこの空港の特徴で、とにかく並ばされる。
職員の公務員意識のためか、はたまた国の安全を両肩に担っているためか。
どうみても前者だ。
「人手が足りない」と言わんばかりに・・・。
ターンテーブルで荷物を受け取って、東京から来るY氏を待つこと10分、エスカレーターで降りてくる姿に手を振って挨拶。
出迎えのコンサル会社の運転手Yさんの運転する高級車で市内へ。
2年前よりもひどい道路渋滞で約1時間かかって外灘の近くにあるコンサル会社のオフィスに着いた。
久しぶりの社長を満面の笑顔を見、担当のT女史も加わって約30分間今回の出張内容の打合せをし、虹橋のホテルへ向かった。
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