懐かしい顔

2005年2月25日
今日は友人二人と会った。
まずはK氏。
中之島にあるライバル企業の関連会社の社長をしている。
東京にいる友人I氏の紹介で知り合ったバリバリの大企業サラリーマンで、同業者でもあるため、これまでも何度かいろいろな話をしてきた。

彼は私よりも一つ年上の56歳で、昨年秋に社員数100名ほどの関連会社の社長になった。
親会社は業界首位の大企業で、繊維というよりも総合的な化学会社といえるほどの内容を誇っている。
私の勤める会社は分社したため、社員はほとんど転籍しているが、彼の会社はそのままである。
関連会社は本体にぶら下がる企業となり、出向社長の悲哀もいくらかはあるが、でも、一国一条の主、大きな社長室を構えて優雅に見える。

以前のビルは老朽化し、神戸の震災のときに大きな被害を受け、最新の高層ビルに建て替えた。
約3000人がその建物にいるという。
古い我が社の社屋にはその半分以下の1200人しかいない。
業績も株価もそうだが、2位の我が社はまた水をあけられてしまった感がある。

お互いの社業を話し、ビジネスの接点探索をすることにした。
彼は5月頃に中国出張があると言うので、上海での再会を約束した。
昼をご馳走になり、玄関までの見送りを受けて、中之島を後にし、西梅田に向かった。

途中、19歳から30歳半ば頃までよく付き合っていた友人T氏に電話し、彼の職場の最寄り駅、南森町へ向かった。
以前から連絡を取り合っていたのだが、今日ようやく20年ぶりの再会を果たせた。
一目見てお互いに歳をとったと思った。
彼はずっと独立して土木設計をしており、つまりはどこかの設計事務所の下請けであるため、時間の割には見入りは少ないとのこと。
特にCADが導入されて以来、ワークの対価は下がっており、公共事業が控えられている今、さらに厳しくなっているという。

それでもこれまで家族を支え、子供3人を育ててきているがんばり屋だ。
彼の辛抱強さは私の教本でもあった。
特に私が独立していた時期は励まされたものだ。
古い友人は日常ではなかなか会えなくとも無事と連絡先が確認されていて、会おうと思えばいつでも会える今の関係ぐらいがいいのかもしれない。
上海に行くと相手に機動性がなければそれが難しくなる。
彼は自分から動き回るタイプではないからだ。
多分次に会う機会はないかもしれない。

別れた後、妙に空々しいものを感じた。
私は何をしに来たのだろうか。
彼に何を期待してきたのか。
結局、彼にとって私は自慢話をしに来ただけだったのだろうか。
激励を受けることがそんなに大切で嬉しい事なのか。
長い歳月は親しい友人との関係まで風化させてしまったようだ。

人との付き合いは生活スタイルで変化する。
今日の二人の友人は接点も異なり、接する目的も意思疎通の深さも違うが、利害関係ではないから付きあえる。
出発する6日までにあと2名と会う約束をしているが、どうやらそれも難しくなってきた。
会えるとすれば4日か5日。
今日のことで、もう会わなくてもいいかなと思うようになってきた。
会いたいという気が薄れている。
過去を思い出す行動はもういいのかもしれない。

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