上海帰還

2005年10月10日
6時30分起床。
いつもの朝のメニューをこなし、7時20分に自宅を出る。
相変わらずの過大荷物。
大げさで惜しがり屋の生き方が判る。

体育の日、元々この日だった。
そう、1964年10月10日、東京オリンピックの開催日だった。
こういう祝日を平気で動かす行政の驕りを私は許したくない。

関西空港4階のJALカウンター前で一緒に中国へゆく人を待つ。
この4日にお世話になった本社のI品管部長だ。
彼とは1月に一緒に私が今いる上海と常熟に出張したが、なぜか今いる会社の空気とは違う人なつっこさを持っている人で、親しくつき合せて戴いている。
彼は宇治から2時間半かけてやってくる。
私は約束よりも30分早く行ったが、家が近いので当り前だろう。
約20分待って彼が来た。

チェックインし、ラウンジに行き、免税店で買物をし、搭乗時間を待った。
彼の好奇心には本当に驚かされる。
我は私より3歳上の59歳。
でも、精神的には私よりもかなり若々しく、おそらく40代のものだろう。
私は彼といると、自分が妙にまとまってきている事を痛感し、これではいけないと自戒することが多い。
不思議な魅力を持つ人だ。

飛行機の中では、JAL客室アテンダントで中国人スタッフのLuさんの良さが光っていた。
私の好きな女優の池端千鶴さんをさらに美しくした美貌の持ち主で、仕事に取り組む姿勢がすばらしいし、物腰が柔らかく、マイクのアナウンスもきれいでなめらかな中国語を話す。
他の乗組員との違いが歴然だった。

彼女が担当してくれたことで、私は最後部に乗せられた腹立たしさを逆に感謝の気持ちに変えていた。
ゲンキンなものである。
I部長に、「あと、20歳若かったら・・・」と言ってしまった。
馬鹿なオヤジのつぶやきである。

浦東空港へはZ運転手が迎えに来てくれていた。
I部長の泊まる虹橋賓館へ行き、我が家に寄って、オフィスに入ったのは14時すぎ。
早速ISOの確認作業など、懸案事項を討議した。
途中、顧客のK董事長から夕食の誘いがあり、さらに大阪での上海MLのオフ会で知り合ったYさんとも食事の約束があったので、上海オフィスのスタッフも含め、みんなまとめての団欒というちょっと乱暴な会食にしてしまった。
しかし、それなりにみんな満足していたと思う。

その後、I部長とK董事長との3名で行きつけの店に行き、遅くまで飲んだ。
明日は常熟泊まりだ。

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