台湾出張2日目――飲みっぱなし
2005年11月2日午前6時30分起床。
BSで朝ドラを観て、シャワー、洗面を済ませ、朝食をとった。
いつものメニュー、いつもの味だ。
ただ、依然と比べて、テーブル配置が少し変わったのと、サービスのきめ細かさがなくなった。
9時30分、最初の訪問先へタクシーで向かい、10時L社に到着。
8月からは取組みがあまり進んでいないようだ。
言い訳は、スタッフ雇用。
来年初頭に新しい人を入れてそれからプロジェクトをはじめると言う。
やる気のなさが伝わってくる。
他社による実績を待っているのだ。
どこかが頑張って売ってから、その実績を持って別の方面に売るほうが楽だという、典型的な商社感覚があった。
この会社も大きくなりすぎた。
以前は何でも新しいことに必死で取り組んでいたが、管理制度が発達すると成績本位となり、新しいことに取り組むことが難しくなっている。
どこの会社も成長過程で味わう苦しみだ。
明日、明後日のビジネスのタネ播きができない。
苦しくなると合理化でしのいで、浮上の時期を待つ受身のビジネスであり、ほとんどの管理型の会社のフォームだ。
午後からも同じセンターにある会社だが、一旦ホテルに戻った。
情けないが、腹具合が良くないからだ。
ホテルでメールなどを確認し、ゆっくりとトイレで時間をかけ、昼食は抜いた。
シャワーを浴び、再びタクシーで顧客へ向かい、昨夜の友人Bさんが所属するS社を訪問。
担当者と打合せ後にオーナー会長、社長らと会談。
彼らとは友達付き合いなので、個人的な話題でしっかり話しこんでしまった。
プロジェクト化は次回経営会議で諮るとのこと。
役員毎に温度差があり、可能性は半々とみる。
時間がかなり遅くなり、次の訪問先にはタクシーに乗ってから遅刻の通知をした。
思ったよりも車がスムーズに流れ、予告したよりも15分速く到着、責任者のHさんとプロジェクト化を英語で話し合う。
これまでとは違い、このJ社はやる気がひしひし伝わってくる。
9年間の付き合いではあるが、私に対していつも熱いものを持ってくれていて、本当に有難い。
その後、食事を一緒にという約束だったので、Hさんの車で私の泊まっているホテルへ向かう。
2階の日本料理を予約していたためで、ホテルで落ち合ったJ社の会長であるTさんも加わり、3名でそろそろ始めた頃に昨夜も一緒に遊んだ友人のAさんも到着し、4名で和やかに食事を進めた。
Aさんは台湾では比較的新しい友人で、頭の良いおとなしい人で、日本語が話せるので、通訳として同席を頼んだ。
品があり、話題も豊富で、顧客の接待には向いていると思う。
TさんもHさんもすっかり気に入っていろいろと話し込んでいた。
以前と違い、私のヒヤリングはかなり成長しているようで、話すことがほとんど判る。
ただ話せないのだ。
時々全くわからない言葉が出てくる。
台湾語だ。
上海と違い、地元人同士でも北京語が中心の台湾で、台湾語が出てくるときは内緒話が多い。
それとなく、こういう場での台湾語はやめてほしいと下手な中国語で笑いながら言うと、懸命なTさんはそれ以後を北京語で通してくれた。
その後、歌おうと言うことになり、森林北路のクラブへ行き、さらにホステス達も引き連れてピアノバーを2軒回った。
台湾人の接待付き合いには本当に閉口する。
限度が違うのだ。
午前4時まで飲んだ。
最後まで同席してくれたAさんには本当に悪いことをしたと思う。
Tさんとは上海でまた会うことになった。
彼を一度私の行きつけの店に連れて行ったら嵌まってしまったのだ。
ホテルに戻ったのは4時30分。
5時45分には車が来る。
寝る時間はまるでない。
BSで朝ドラを観て、シャワー、洗面を済ませ、朝食をとった。
いつものメニュー、いつもの味だ。
ただ、依然と比べて、テーブル配置が少し変わったのと、サービスのきめ細かさがなくなった。
9時30分、最初の訪問先へタクシーで向かい、10時L社に到着。
8月からは取組みがあまり進んでいないようだ。
言い訳は、スタッフ雇用。
来年初頭に新しい人を入れてそれからプロジェクトをはじめると言う。
やる気のなさが伝わってくる。
他社による実績を待っているのだ。
どこかが頑張って売ってから、その実績を持って別の方面に売るほうが楽だという、典型的な商社感覚があった。
この会社も大きくなりすぎた。
以前は何でも新しいことに必死で取り組んでいたが、管理制度が発達すると成績本位となり、新しいことに取り組むことが難しくなっている。
どこの会社も成長過程で味わう苦しみだ。
明日、明後日のビジネスのタネ播きができない。
苦しくなると合理化でしのいで、浮上の時期を待つ受身のビジネスであり、ほとんどの管理型の会社のフォームだ。
午後からも同じセンターにある会社だが、一旦ホテルに戻った。
情けないが、腹具合が良くないからだ。
ホテルでメールなどを確認し、ゆっくりとトイレで時間をかけ、昼食は抜いた。
シャワーを浴び、再びタクシーで顧客へ向かい、昨夜の友人Bさんが所属するS社を訪問。
担当者と打合せ後にオーナー会長、社長らと会談。
彼らとは友達付き合いなので、個人的な話題でしっかり話しこんでしまった。
プロジェクト化は次回経営会議で諮るとのこと。
役員毎に温度差があり、可能性は半々とみる。
時間がかなり遅くなり、次の訪問先にはタクシーに乗ってから遅刻の通知をした。
思ったよりも車がスムーズに流れ、予告したよりも15分速く到着、責任者のHさんとプロジェクト化を英語で話し合う。
これまでとは違い、このJ社はやる気がひしひし伝わってくる。
9年間の付き合いではあるが、私に対していつも熱いものを持ってくれていて、本当に有難い。
その後、食事を一緒にという約束だったので、Hさんの車で私の泊まっているホテルへ向かう。
2階の日本料理を予約していたためで、ホテルで落ち合ったJ社の会長であるTさんも加わり、3名でそろそろ始めた頃に昨夜も一緒に遊んだ友人のAさんも到着し、4名で和やかに食事を進めた。
Aさんは台湾では比較的新しい友人で、頭の良いおとなしい人で、日本語が話せるので、通訳として同席を頼んだ。
品があり、話題も豊富で、顧客の接待には向いていると思う。
TさんもHさんもすっかり気に入っていろいろと話し込んでいた。
以前と違い、私のヒヤリングはかなり成長しているようで、話すことがほとんど判る。
ただ話せないのだ。
時々全くわからない言葉が出てくる。
台湾語だ。
上海と違い、地元人同士でも北京語が中心の台湾で、台湾語が出てくるときは内緒話が多い。
それとなく、こういう場での台湾語はやめてほしいと下手な中国語で笑いながら言うと、懸命なTさんはそれ以後を北京語で通してくれた。
その後、歌おうと言うことになり、森林北路のクラブへ行き、さらにホステス達も引き連れてピアノバーを2軒回った。
台湾人の接待付き合いには本当に閉口する。
限度が違うのだ。
午前4時まで飲んだ。
最後まで同席してくれたAさんには本当に悪いことをしたと思う。
Tさんとは上海でまた会うことになった。
彼を一度私の行きつけの店に連れて行ったら嵌まってしまったのだ。
ホテルに戻ったのは4時30分。
5時45分には車が来る。
寝る時間はまるでない。
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