(帰国第1日目) 招かれざる主人
2005年12月23日起床は6時30分。
午前9時にいつものように出勤。
但し、迎えに来た車のトランクには大きなスーツケースとゴルフバッグ、服装はカジュアル。
つまり、帰国の途中に会社へちょっと立ち寄った、ということである。
今日から6日間、日本へ戻る。
今回は完全休暇だ。
小口現金会計など、承認、確認、現金補充や、諸々の連絡事項の処理をし、虹橋の事務所を出たのは11時30分過ぎ。
例によってZさんのマイペース安全運転で約70分かかって浦東空港へ。
JALカウンター前で待ち合わせの約束だった本社経理のIさんの姿は見えず、ならばとそのままチェックイン。
イミグレーションを通過して中に入ると、最も混雑する時間帯だけにラウンジは満席。
隣のファーストクラスラウンジに入れられたが、ここにはPC接続のADSL設備がないので、メールは見られなかった。
Iさんを探し、免税店で土産を買っていたら搭乗時間がやってきた。
B-777は大型機であるが満席状態。
それも駐在員と見られる人が多く、早い目の帰省を選んだ人たちなのだろう。
勿論、年末駆け込み出張者も多いはずだ。
連休の前後に出張するなんて、自分の都合しか考えていない、実に駐在員泣かせのものだと思う。
駐在員の予定などまったく考慮していない。
我が社のI氏もそうだ。
私はそういう無神経な出張はしなかったし、私が関わった後進たちには教えてきた。
でも、やってきてくれること自体はありがたいと思う。
この辺が駐在の偽らざる本音だ。
海外駐在というのは脆弱な足場しか持てない。
だから、できるだけ本国の仲間が応援してやらねばならない。
出丸が重要であればあるほど、本丸はその支援をしっかりしなければならない。
出丸を単に防御の時間稼ぎの消耗品としか考えられない指揮官には部隊を率いる資格はない。
「お前にすべて任せてある」
耳ざわりは良いが、実に恐ろしい言葉を私はもらっている。
本社の総務も人事も一度たりと中国へ来たことがない。
そういう本社に対して私はいつも保持すべき距離感を掴めないでいる。
関西空港へ着き、入国したところでIさんとは別れた。
彼は来年2月に再度やってくる。
多分、気を良くして帰ったはずだから、次回も楽しく過ごせるはずだ。
私は、荷物をしっかり確保して、外のロビーで詰め替えて数を減らし、鉄道駅に向かった。
事故で間引き運転中の南海電車に乗って自宅へ帰ったのは18時30分。
「何しに帰ってきたん?」
例によって「妻」から冷たい言葉を浴びせられた。
無理もない。
私はもうこの家に居所はないのだから。
正月を一緒に過ごすというわけでもなく、クリスマスも自分の予定を入れており、後はゴルフ三昧という勝手気ままな帰省の邪魔者オヤジを歓迎するものはいない。
それでも帰って来たいし、家族と会いたい。
歓迎されなくても、家族の顔を見るだけでいい。
こんな家庭にしてしまったのは私なのだから、それを償わなくてはいけない。
今後もできるだけ帰ってこようと思っている。
荷物を片付け、郵便を処理し、「水戸黄門」の撮り溜めビデオを一部観て、風呂も入らずに寝床にもぐったのは午前3時半。
明日は買い物とゴルフの練習の予定だが、寒くなりそうだ。
午前9時にいつものように出勤。
但し、迎えに来た車のトランクには大きなスーツケースとゴルフバッグ、服装はカジュアル。
つまり、帰国の途中に会社へちょっと立ち寄った、ということである。
今日から6日間、日本へ戻る。
今回は完全休暇だ。
小口現金会計など、承認、確認、現金補充や、諸々の連絡事項の処理をし、虹橋の事務所を出たのは11時30分過ぎ。
例によってZさんのマイペース安全運転で約70分かかって浦東空港へ。
JALカウンター前で待ち合わせの約束だった本社経理のIさんの姿は見えず、ならばとそのままチェックイン。
イミグレーションを通過して中に入ると、最も混雑する時間帯だけにラウンジは満席。
隣のファーストクラスラウンジに入れられたが、ここにはPC接続のADSL設備がないので、メールは見られなかった。
Iさんを探し、免税店で土産を買っていたら搭乗時間がやってきた。
B-777は大型機であるが満席状態。
それも駐在員と見られる人が多く、早い目の帰省を選んだ人たちなのだろう。
勿論、年末駆け込み出張者も多いはずだ。
連休の前後に出張するなんて、自分の都合しか考えていない、実に駐在員泣かせのものだと思う。
駐在員の予定などまったく考慮していない。
我が社のI氏もそうだ。
私はそういう無神経な出張はしなかったし、私が関わった後進たちには教えてきた。
でも、やってきてくれること自体はありがたいと思う。
この辺が駐在の偽らざる本音だ。
海外駐在というのは脆弱な足場しか持てない。
だから、できるだけ本国の仲間が応援してやらねばならない。
出丸が重要であればあるほど、本丸はその支援をしっかりしなければならない。
出丸を単に防御の時間稼ぎの消耗品としか考えられない指揮官には部隊を率いる資格はない。
「お前にすべて任せてある」
耳ざわりは良いが、実に恐ろしい言葉を私はもらっている。
本社の総務も人事も一度たりと中国へ来たことがない。
そういう本社に対して私はいつも保持すべき距離感を掴めないでいる。
関西空港へ着き、入国したところでIさんとは別れた。
彼は来年2月に再度やってくる。
多分、気を良くして帰ったはずだから、次回も楽しく過ごせるはずだ。
私は、荷物をしっかり確保して、外のロビーで詰め替えて数を減らし、鉄道駅に向かった。
事故で間引き運転中の南海電車に乗って自宅へ帰ったのは18時30分。
「何しに帰ってきたん?」
例によって「妻」から冷たい言葉を浴びせられた。
無理もない。
私はもうこの家に居所はないのだから。
正月を一緒に過ごすというわけでもなく、クリスマスも自分の予定を入れており、後はゴルフ三昧という勝手気ままな帰省の邪魔者オヤジを歓迎するものはいない。
それでも帰って来たいし、家族と会いたい。
歓迎されなくても、家族の顔を見るだけでいい。
こんな家庭にしてしまったのは私なのだから、それを償わなくてはいけない。
今後もできるだけ帰ってこようと思っている。
荷物を片付け、郵便を処理し、「水戸黄門」の撮り溜めビデオを一部観て、風呂も入らずに寝床にもぐったのは午前3時半。
明日は買い物とゴルフの練習の予定だが、寒くなりそうだ。
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