起床は6時30分。

朝、帰り便の変更が出来ないか再度確認したが出来ず、夜の便であることが決まった。
中国へメールを送り、迎えの車、開発区からのオファーへの対応などの変更を指示した。
その後、散髪をし、近所を散策した。

散髪屋さんの少し南に知らない小料理屋があり、昼食メニューがあったので入ったら結構いい雰囲気だった。
私は6年半前に引っ越してきてからこのように近所を歩き回ることはほとんどなく、自分の住んでいる町をよく知らないままでいた。
もっともっと散策すればよかったと思う。
泉大津市は古い町だけにいろいろなものが発見できるはずだ。
今後は帰国の楽しみの一つにしようと思う。

駅前の商業施設で買物をし、駅で時刻表を確認。
帰りは荷物が多いので、早い目に家を出ることにした。
TUMIのいつものバッグとボストンバッグを肩から袈裟懸けにして、左手で大きなスーツケース、右手でゴルフバッグを持つと、足元がふらついた。
総重量は75Kg。
これを持って、あの前近代的な、バリアフリーなど縁遠い駅の階段を下りなければならないのかと思うと悲壮感が漂った。

最悪の場合は何往復かすればいい、と開き直って駅に向かった。
不便なエレベーターで3階まで行き、渡り廊下を進んで改札口へ。
駅員は勿論冷ややかな目で見るだけで、初老の男性が重そうに行くのを手伝おうとは決してしない。
問題の階段へ来た時、意を決してすべてを持ち上げたらちょっとふらつくが何とか行ける。
こわごわ降りてゆき、プラットホームに着いたのは乗るべき急行電車が到着する直前だった。
早めに家を出て正解だった。

寒いはずの大阪で、確かに防寒の服装ではあったが、電車の暖房も効いていたため、汗びっしょりになった。
関西空港で荷物をカートに載せてJALのカウンターに行くまでに身体が冷えてしまった。
大きな荷物は預けたが2つのバッグは機内持ち込みにしたため、またまた汗をかくことになり、イミグレーションを通過し、免税店の横の通路を入ってラウンジに着いた時はシャツはびっしょり。
荷物を置いて免税店で土産を買っている間にも汗で濡れた身体が冷えてしまった。
結局、機内で毛布を着て震えることになり、確実に風邪をこじらしてしまった。

関西空港で東京のKさんと電話で話した。
一昨日も電話したが、この人と話をすると本当に気持が安らぐ。
話す内容も、話し方も、声質までも心地よい。
天竜寺に行ってからもう一年以上、最後に会った日から10ヶ月経っているのか。
健康を取り戻し、随分と変わったらしい。
内面が充実するようないい事があったのかもしれない。
上海で再会できたらその内容を是非聞いてみたいものだ。

上海に着いた時、妙に安堵感が心に広がってゆくのを感じた。
今の私にはここが生活の場であり、もっとも落ち着ける街なのだろう。
ここには自分のスペースがあり、居場所がある。
日本の我が家で感じた居心地の悪さを改めて思い知った帰省だった。

帰宅後、荷物を整理し、Lさんに頼まれていたものを届けに行った。
土産もしっかり持っていった。
でも、Lさんの反応は期待したほどではなかった。
こういう事はよくあることだ。
かなり張り込んで買っても、もらう人の心にまでは伝わらないものだ。
特にこの人の場合は難しい。
わかっていながら買ってきた私が愚かなのだろう。

もやもやしたものを感じながら帰宅したのは午前3時過ぎ。
やはりこの生活の流れを変えることが上海で暮らしてゆくうえで私にとっては最も急がれることなのかもしれない。

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