初出
2006年1月3日起床は6時30分。
また、いつもの日々が始まった。
中国では旧暦(陰暦)の正月こそが祝うべき対象なので、新年祝賀の盛り上がりはない。
やはり、1週間にわたる長い休みが伴なわないと新年とはいえないようだ。
東アジアで旧暦を使っていないのは日本だけ。
中国も台湾も韓国も、正月といえば旧暦だ。
旧暦は月齢を基準としている暦で地球に引力では最も大きな影響を与えている月のリズムそのものだ。
この星のあらゆる生物が月の影響を受けていると言える。
その意味では新暦に切り替えた日本では、それまでの暦と重なった歳時記が妙なズレを生じさせている。
季節感が1ヶ月ずれた事で日本文化の底辺を支える生活の視点が変わってきたと思う。
特に古い俳句集などを読むと季語のズレを感じてきた。
現代俳句ではその修正に苦労した跡が見受けられる。
ともあれ、新しい年の業務は再開したが、挨拶回りをしようにもあいている取引先はなく、郵便の処理など、午前中の業務を終えたところで、アーイさんも交えて食事に行き、そのまま解散した。
私はIKEAや特力屋、カルフールとはしごして、衣服の整理スペースを増やすつもりでいたが、適当なものがなく、結局は収穫なしで18時に帰宅した。
いつもの「花蝶」で夕食を食べ、無錫からやって来る友人からの連絡を待った。
そのYさんとは4年前に江陰で知り合った。
しばらくメールや電話のやり取りをしたり、たまに日本から上海や江陰に行った折に会ったりしていたが、一昨年の夏から音信が途絶えたままだった。
それが、先日、メールがやってきて無錫で経済開発区の役人になっているという。
上海へ出張するので会えないかということだった。
19時、連絡が入り、長寧区内のホテルに投宿したとの事で、タクシーで迎えに行き、そのまま古北のレストランで食事をした。
一昨年の秋に結婚し、いまや母になっているという。
僅かの時間でも、確実に人の変化はあるものだと思った。
一通り話し終えて、ホテルに送って行った。
その後、Lさんと話があるから衡山路へ行ったが、話がこじれ、そこから移動する途中、送ってくれるはずの車から氷雨の中を降ろされた。
深夜、人気のない路でタクシーも通らない。
10分ほど歩いて大通りに出て、やっとタクシーにありつけたが、身体は冷えきっていて、風邪をこじらしてしまった。
今夜という今夜は、絶交という言葉しか出てこなかった。
また、いつもの日々が始まった。
中国では旧暦(陰暦)の正月こそが祝うべき対象なので、新年祝賀の盛り上がりはない。
やはり、1週間にわたる長い休みが伴なわないと新年とはいえないようだ。
東アジアで旧暦を使っていないのは日本だけ。
中国も台湾も韓国も、正月といえば旧暦だ。
旧暦は月齢を基準としている暦で地球に引力では最も大きな影響を与えている月のリズムそのものだ。
この星のあらゆる生物が月の影響を受けていると言える。
その意味では新暦に切り替えた日本では、それまでの暦と重なった歳時記が妙なズレを生じさせている。
季節感が1ヶ月ずれた事で日本文化の底辺を支える生活の視点が変わってきたと思う。
特に古い俳句集などを読むと季語のズレを感じてきた。
現代俳句ではその修正に苦労した跡が見受けられる。
ともあれ、新しい年の業務は再開したが、挨拶回りをしようにもあいている取引先はなく、郵便の処理など、午前中の業務を終えたところで、アーイさんも交えて食事に行き、そのまま解散した。
私はIKEAや特力屋、カルフールとはしごして、衣服の整理スペースを増やすつもりでいたが、適当なものがなく、結局は収穫なしで18時に帰宅した。
いつもの「花蝶」で夕食を食べ、無錫からやって来る友人からの連絡を待った。
そのYさんとは4年前に江陰で知り合った。
しばらくメールや電話のやり取りをしたり、たまに日本から上海や江陰に行った折に会ったりしていたが、一昨年の夏から音信が途絶えたままだった。
それが、先日、メールがやってきて無錫で経済開発区の役人になっているという。
上海へ出張するので会えないかということだった。
19時、連絡が入り、長寧区内のホテルに投宿したとの事で、タクシーで迎えに行き、そのまま古北のレストランで食事をした。
一昨年の秋に結婚し、いまや母になっているという。
僅かの時間でも、確実に人の変化はあるものだと思った。
一通り話し終えて、ホテルに送って行った。
その後、Lさんと話があるから衡山路へ行ったが、話がこじれ、そこから移動する途中、送ってくれるはずの車から氷雨の中を降ろされた。
深夜、人気のない路でタクシーも通らない。
10分ほど歩いて大通りに出て、やっとタクシーにありつけたが、身体は冷えきっていて、風邪をこじらしてしまった。
今夜という今夜は、絶交という言葉しか出てこなかった。
コメント