大晦日の景色
2006年1月28日起床は6時29分。
春節連休を生み出すための出勤日だが、実質的には午前中に掃除して終える。
常熟は11時に終業、上海もそのすぐ後に仕事を終えた。
ビルの同じフロアでは出社しているのはウチだけだった。
22日から来てくれている出張者のIさんが常熟から帰ってくる昼までは自宅に戻り、友人のLさんに忘れ物を届けに行こうとしたが、タクシーに乗ったとたんに会社のZ運転手より到着を知らせてきたので、すぐに事務所に戻った。
その後、簡単な打合せを終え、春節前の業務を全て終了、そのまま我が家へ行った。
「花蝶」で昼食をとり、「百盛」で土産など買物をして帰宅。
15時までのんびり過ごし、その後Iさんの泊まる「虹橋賓館」にチェックインし、新天地などを見にタクシーで淮海路へ出かけた。
既に休みに入っている会社が多いためか、人出は多く、観光客も結構いた。
そのまま、旧市街地を中山東路まで歩き、生活臭が一杯の上海の下町の大晦日の景色を楽しんだ。
昔ながらの狭く汚い家に多くの人が住んでいる。
彼らのほとんどがここで生まれ、ここで育っている。
でも、ここで死ぬかどうかはわからない。
再開発でどんどん取り壊されているからだ。
花火はまだ鳴らないが、道行く人が買って自宅へ持ち帰っているようで、まさに嵐の前の静けさかもしれない。
夕食は昼に続いて「花蝶」。
店長が出勤拒否をしているようだが、彼らの内部事情は敢えて立ち入らない。
でも、彼女がいない「花蝶」はどこかギクシャクしているようで、いつものくつろぎ感がない。
満腹になるほど食ったが、Iさんが物足りないような顔だったので、飲みに行くかと聞くとうなづいた。
いつもの店は休んでいるし、他にも知っている店はどこも休暇に入っている。
最近行きだした南京西路にあるホテルのクラブのママに電話をしたら開いているというのでタクシーを飛ばした。
この頃、街では既にあちらこちらで花火が上がりだし、結構賑やかになっていた。
店にはほかに何組かの客がいたが、我々二人のほかに隣の席の一人の3名以外は早めに帰っていった。
ママから最後までいてくれというので、日付変更線までいることにした。
23時を回るとホテルの中にあるこの店にも花火の音が聞こえてくるようになり、23時45分、ママが花火をしようとホテルの前に出て、やりだした。
周辺はもう花火の大音響と爆煙の洪水だ。
耳をふさいでも音が入ってくるし、ハンカチで花をふさいでも煙い。
木造家屋の多い日本では考えられない風景に思わず呆然と立ちすくんでしまった。
店の女性が勇敢にも次々と花火に火をつけていた。
日本の正月は除夜の鐘を聞きながら粛々と迎えるものだが、こっちはとにかく陽気だ。
同じアジアでもこうも違うものかと感心しきり。
店を閉め、客の我々3名を含めた合計8名で玉仏寺に参詣したが、すごい人手で参拝はあきらめ、周辺道路から拝んだ。
その後、南京西路に戻り、開いているレストランで軽く食事をして午前3時に解散。
店の女性1名を帰りがてらに送り、帰宅したのは3時30分。
帰国の用意は全然していなかったが、疲れたので寝ることにする。
春節連休を生み出すための出勤日だが、実質的には午前中に掃除して終える。
常熟は11時に終業、上海もそのすぐ後に仕事を終えた。
ビルの同じフロアでは出社しているのはウチだけだった。
22日から来てくれている出張者のIさんが常熟から帰ってくる昼までは自宅に戻り、友人のLさんに忘れ物を届けに行こうとしたが、タクシーに乗ったとたんに会社のZ運転手より到着を知らせてきたので、すぐに事務所に戻った。
その後、簡単な打合せを終え、春節前の業務を全て終了、そのまま我が家へ行った。
「花蝶」で昼食をとり、「百盛」で土産など買物をして帰宅。
15時までのんびり過ごし、その後Iさんの泊まる「虹橋賓館」にチェックインし、新天地などを見にタクシーで淮海路へ出かけた。
既に休みに入っている会社が多いためか、人出は多く、観光客も結構いた。
そのまま、旧市街地を中山東路まで歩き、生活臭が一杯の上海の下町の大晦日の景色を楽しんだ。
昔ながらの狭く汚い家に多くの人が住んでいる。
彼らのほとんどがここで生まれ、ここで育っている。
でも、ここで死ぬかどうかはわからない。
再開発でどんどん取り壊されているからだ。
花火はまだ鳴らないが、道行く人が買って自宅へ持ち帰っているようで、まさに嵐の前の静けさかもしれない。
夕食は昼に続いて「花蝶」。
店長が出勤拒否をしているようだが、彼らの内部事情は敢えて立ち入らない。
でも、彼女がいない「花蝶」はどこかギクシャクしているようで、いつものくつろぎ感がない。
満腹になるほど食ったが、Iさんが物足りないような顔だったので、飲みに行くかと聞くとうなづいた。
いつもの店は休んでいるし、他にも知っている店はどこも休暇に入っている。
最近行きだした南京西路にあるホテルのクラブのママに電話をしたら開いているというのでタクシーを飛ばした。
この頃、街では既にあちらこちらで花火が上がりだし、結構賑やかになっていた。
店にはほかに何組かの客がいたが、我々二人のほかに隣の席の一人の3名以外は早めに帰っていった。
ママから最後までいてくれというので、日付変更線までいることにした。
23時を回るとホテルの中にあるこの店にも花火の音が聞こえてくるようになり、23時45分、ママが花火をしようとホテルの前に出て、やりだした。
周辺はもう花火の大音響と爆煙の洪水だ。
耳をふさいでも音が入ってくるし、ハンカチで花をふさいでも煙い。
木造家屋の多い日本では考えられない風景に思わず呆然と立ちすくんでしまった。
店の女性が勇敢にも次々と花火に火をつけていた。
日本の正月は除夜の鐘を聞きながら粛々と迎えるものだが、こっちはとにかく陽気だ。
同じアジアでもこうも違うものかと感心しきり。
店を閉め、客の我々3名を含めた合計8名で玉仏寺に参詣したが、すごい人手で参拝はあきらめ、周辺道路から拝んだ。
その後、南京西路に戻り、開いているレストランで軽く食事をして午前3時に解散。
店の女性1名を帰りがてらに送り、帰宅したのは3時30分。
帰国の用意は全然していなかったが、疲れたので寝ることにする。
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