青島第3日目 「労山で苦労」
2006年5月3日起床は6時。
6時半から食事を取り、7時にスタート。
運転手君はJJさんと同じ歳で故郷も近いらしい。
人に受け入れられ易いのか、もうすっかり仲良くなっている。
だが、労山までの道のりを30分ほど言ったところで、案の定交通規制の関所が置かれ、交通警官がどっさりいるわ、いるわ。
19人乗り以上の車しか乗り入れできないとのこと。
運転手君は約30分間、あれこれ策を講じていたが、結局あきらめて、開放される午後までは市街地にいることになり、青島ビール博物館へ行った。
まだ8時で早いかと思ったが、丁度男女が1組来ており、同時に回ることになった。
一人は金沢出身の男性で、性格は穏やかそうで、年齢は私よりも少し上だろう。
女性のほうはかなり若く20代の中間だろうと思われる。
二人は我々よりも一日早く蘇州から来ており、今日の便で帰るという。
彼らとはお互いに写真を撮りあったりしてブラブラと時間をつぶした。
ビール党の私は、日本でもサッポロビールの札幌や恵比寿、アサヒビール、キリン、サントリーと一通り工場見学に行っている。
だから、工程そのものはさほど珍しいとは思わなかったが、歴史を学べることと濾過前の生ビールが飲めることは嬉しい。
青島ビールは今もドイツ風味で私が好きなビールだ。
見学コースの途中と終わりの2箇所でしっかり飲んだ。
その後、時間はまだまだあり、運転手君がテレビ塔に行けば青島市内が一望できると薦めるので向かった。
だが、ここで五一休暇の洗礼を受ける。
昇りのエレベーターを待つ行列が長く長く、長〜く続いている。
切符は買っていたし、我々も並ぶことにした。
多少の横入りはあったがある程度整然と行列ができていたので、気分は滅入っていたが、さほど疲れはしなかった。
約1時間並んでようやく展望階へ上がれた。
エレベーターから出て、窓を見たとたん、それまでの疲れが3倍になってどかっと出た。
なんと、濃霧。
すぐ降りるエレベーターに向かったら、これまた約1時間の行列。
つくづく嫌になった。
連休中はこういうところに来るモンじゃない。
大阪人は行列の好きな東京人と違って並ぶのが大嫌いなのだ。
12時15分、ようよう降りて、労山に向かったら、今度は関所もなくスムーズ。
海岸沿いのレストランで昼食。
JJさんはすきな海鮮料理をいろいろ食べ、私は青菜炒めとビールだけ。
晴れで暑かった昨日と違って雲が多く、少し肌寒くなってきた。
労山に登るロープウェイ乗り場について驚いた。
また、行列だ。
それも無秩序に階段一杯に広がっている。
これまた切符を買ってしまっているし、ここに上るための一日なのだから並ぶしかない。
テレビ塔の時と違ってエネルギーが要る。
押すな、押すなでちょっと油断するとすぐ横入りされる。
ただ、並んでいればいいというわけにはいかない。
中国の最も中国らしい光景がここにあった。
約2時間あまり並んでようやくゴンドラに乗れた。
JJさんは高所恐怖症らしく、ゴンドラが揺れるたびに大きな声を上げていた。
上の駅で降りてまた嫌になった。
当然ながら、下りもこれまた長蛇の列。
あとで課せられる重労働が容易に予測できる。
取りあえず山頂を目指し歩き出した。
JJさんはあれだけ昼食を食べたのに、途中の露店で食べ物をあさっている。
その顔に鬼気を感じた。
足腰の弱い人や幼児を連れている人を相手に駕籠ならぬ「腰」がいて、乗れ、乗れと誘いをかけている。
若い私は当然歩いて上るという固い決意をしているため、乗らなかった。
尤も、か細いオッサンがふらふらしながら担いでいるのを見ると、あれは確実に船酔い以上に酔うなと思った。
頂上の寺院に参拝。
JJさんは僧侶の指導で必死に拝んでいる。
その姿には日頃のJJさんの言動とかなりの差異が感じられる。
でも、それはこの国の現状を知るとすぐに納得できる。
不安感、何かにすがりたいという末世的な見方ではなく、或いは祖先を敬い、祭るという純粋な宗教上の理由からではなく、利用できるものはしっかり利用し、自分にとって得する事は洩らすことなく取り込むという、過当な競争の中に身を置いている現代の中国人の卒のない姿勢が感じられた。
こう書くとJJさんはきっと反論するだろう。
自分は純粋に拝んでおり、違うって。
しかし、かつてあれほど否定していた宗教行為を、中国人は今、真剣に取り入れている。
尤も、それは頼みごとをするときだけで、日常的には何もしていない人が多い。
これは台湾も含め、中国人全体に言えることだろう。
無神論者の私が言うとおかしいかもしれないが・・・。
しかし、人が何かを拝み、崇める事は尊いことであり、それを揶揄することではない。
かつて宗教と政治は表裏一体のもので、この国は元々は宗教の盛んな国だった。
それが、当然ながら寺院の強大化がすすみ、勢力としての宗教が国家体制に及ぼす影響をなくすためにしばしば寺院の取り壊しなどがあった。
そこへ毛沢東による革命で社会主義国家になった。
当然ながら唯物論の中では宗教は否定されている。
人の心を思うままに操れる宗教の恐さを為政者たちはよく知っている。
昨今の新興宗教団体による猟奇事件の数々は、宗教の異常性を示すいい例だといえる。
私の両親は日蓮宗の熱心な信者であり、子供の頃より親に拝むことを強要されてきた。
熱心に拝む人に悪人はいない。
だから、宗教を馬鹿にしたりはしない。
しかし、自分には不要だ。
悪人だから?
ちがう、何を拝めばいいのかわからないのだ。
宗教で飯を食っているやつらを敬う気になれないだけだ。
下山の行列は熾烈を極めた。
あんな下品な行列に身を置き、その中で横入りされないように頑張っている自分が惨めだった。
GWを避けて、別の日に、もっとゆったりした休暇にしたかった。
2度とGWに旅行などしない、と痛感した。
タクシーに市内まで送ってもらい、「順峰」で海鮮料理を食べた。
LT部長から、ここは高いので止めた方がいいと聞いていたが、それは明らかに間違っていた。
まず店の雰囲気が一昨日の「海夢園」よりもはるかにいい。
さらに、女性の店員が全員ミニスカートで、美しい脚線を惜しげもなく出して我々の目を楽しませてくれる。
料理も美味いし、値段もさほど高くはない。
ネットの友人がなぜここで食べるのか、よくわかった。
彼なら当然だろう。
22時、ホテルに戻り、荷造りもそこそこに、疲れて寝た。
6時半から食事を取り、7時にスタート。
運転手君はJJさんと同じ歳で故郷も近いらしい。
人に受け入れられ易いのか、もうすっかり仲良くなっている。
だが、労山までの道のりを30分ほど言ったところで、案の定交通規制の関所が置かれ、交通警官がどっさりいるわ、いるわ。
19人乗り以上の車しか乗り入れできないとのこと。
運転手君は約30分間、あれこれ策を講じていたが、結局あきらめて、開放される午後までは市街地にいることになり、青島ビール博物館へ行った。
まだ8時で早いかと思ったが、丁度男女が1組来ており、同時に回ることになった。
一人は金沢出身の男性で、性格は穏やかそうで、年齢は私よりも少し上だろう。
女性のほうはかなり若く20代の中間だろうと思われる。
二人は我々よりも一日早く蘇州から来ており、今日の便で帰るという。
彼らとはお互いに写真を撮りあったりしてブラブラと時間をつぶした。
ビール党の私は、日本でもサッポロビールの札幌や恵比寿、アサヒビール、キリン、サントリーと一通り工場見学に行っている。
だから、工程そのものはさほど珍しいとは思わなかったが、歴史を学べることと濾過前の生ビールが飲めることは嬉しい。
青島ビールは今もドイツ風味で私が好きなビールだ。
見学コースの途中と終わりの2箇所でしっかり飲んだ。
その後、時間はまだまだあり、運転手君がテレビ塔に行けば青島市内が一望できると薦めるので向かった。
だが、ここで五一休暇の洗礼を受ける。
昇りのエレベーターを待つ行列が長く長く、長〜く続いている。
切符は買っていたし、我々も並ぶことにした。
多少の横入りはあったがある程度整然と行列ができていたので、気分は滅入っていたが、さほど疲れはしなかった。
約1時間並んでようやく展望階へ上がれた。
エレベーターから出て、窓を見たとたん、それまでの疲れが3倍になってどかっと出た。
なんと、濃霧。
すぐ降りるエレベーターに向かったら、これまた約1時間の行列。
つくづく嫌になった。
連休中はこういうところに来るモンじゃない。
大阪人は行列の好きな東京人と違って並ぶのが大嫌いなのだ。
12時15分、ようよう降りて、労山に向かったら、今度は関所もなくスムーズ。
海岸沿いのレストランで昼食。
JJさんはすきな海鮮料理をいろいろ食べ、私は青菜炒めとビールだけ。
晴れで暑かった昨日と違って雲が多く、少し肌寒くなってきた。
労山に登るロープウェイ乗り場について驚いた。
また、行列だ。
それも無秩序に階段一杯に広がっている。
これまた切符を買ってしまっているし、ここに上るための一日なのだから並ぶしかない。
テレビ塔の時と違ってエネルギーが要る。
押すな、押すなでちょっと油断するとすぐ横入りされる。
ただ、並んでいればいいというわけにはいかない。
中国の最も中国らしい光景がここにあった。
約2時間あまり並んでようやくゴンドラに乗れた。
JJさんは高所恐怖症らしく、ゴンドラが揺れるたびに大きな声を上げていた。
上の駅で降りてまた嫌になった。
当然ながら、下りもこれまた長蛇の列。
あとで課せられる重労働が容易に予測できる。
取りあえず山頂を目指し歩き出した。
JJさんはあれだけ昼食を食べたのに、途中の露店で食べ物をあさっている。
その顔に鬼気を感じた。
足腰の弱い人や幼児を連れている人を相手に駕籠ならぬ「腰」がいて、乗れ、乗れと誘いをかけている。
若い私は当然歩いて上るという固い決意をしているため、乗らなかった。
尤も、か細いオッサンがふらふらしながら担いでいるのを見ると、あれは確実に船酔い以上に酔うなと思った。
頂上の寺院に参拝。
JJさんは僧侶の指導で必死に拝んでいる。
その姿には日頃のJJさんの言動とかなりの差異が感じられる。
でも、それはこの国の現状を知るとすぐに納得できる。
不安感、何かにすがりたいという末世的な見方ではなく、或いは祖先を敬い、祭るという純粋な宗教上の理由からではなく、利用できるものはしっかり利用し、自分にとって得する事は洩らすことなく取り込むという、過当な競争の中に身を置いている現代の中国人の卒のない姿勢が感じられた。
こう書くとJJさんはきっと反論するだろう。
自分は純粋に拝んでおり、違うって。
しかし、かつてあれほど否定していた宗教行為を、中国人は今、真剣に取り入れている。
尤も、それは頼みごとをするときだけで、日常的には何もしていない人が多い。
これは台湾も含め、中国人全体に言えることだろう。
無神論者の私が言うとおかしいかもしれないが・・・。
しかし、人が何かを拝み、崇める事は尊いことであり、それを揶揄することではない。
かつて宗教と政治は表裏一体のもので、この国は元々は宗教の盛んな国だった。
それが、当然ながら寺院の強大化がすすみ、勢力としての宗教が国家体制に及ぼす影響をなくすためにしばしば寺院の取り壊しなどがあった。
そこへ毛沢東による革命で社会主義国家になった。
当然ながら唯物論の中では宗教は否定されている。
人の心を思うままに操れる宗教の恐さを為政者たちはよく知っている。
昨今の新興宗教団体による猟奇事件の数々は、宗教の異常性を示すいい例だといえる。
私の両親は日蓮宗の熱心な信者であり、子供の頃より親に拝むことを強要されてきた。
熱心に拝む人に悪人はいない。
だから、宗教を馬鹿にしたりはしない。
しかし、自分には不要だ。
悪人だから?
ちがう、何を拝めばいいのかわからないのだ。
宗教で飯を食っているやつらを敬う気になれないだけだ。
下山の行列は熾烈を極めた。
あんな下品な行列に身を置き、その中で横入りされないように頑張っている自分が惨めだった。
GWを避けて、別の日に、もっとゆったりした休暇にしたかった。
2度とGWに旅行などしない、と痛感した。
タクシーに市内まで送ってもらい、「順峰」で海鮮料理を食べた。
LT部長から、ここは高いので止めた方がいいと聞いていたが、それは明らかに間違っていた。
まず店の雰囲気が一昨日の「海夢園」よりもはるかにいい。
さらに、女性の店員が全員ミニスカートで、美しい脚線を惜しげもなく出して我々の目を楽しませてくれる。
料理も美味いし、値段もさほど高くはない。
ネットの友人がなぜここで食べるのか、よくわかった。
彼なら当然だろう。
22時、ホテルに戻り、荷造りもそこそこに、疲れて寝た。
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