昼間のビール

2006年5月21日
起床は9時30分。

とにかく寝た。
14時に「万都」前のバス停に行き、そのまま「百盛」にある「Hooter」で昼食を食べる。
この店はアメリカに本部のあるビアレストラン。
店員のコスチュームがやや過激で、夜には来たくない。
といって、昼間からビールというのもいただけなかったが、勢いで3本飲んだ。

その後、「百盛」の2階で散髪をしたが、いつもよりかなり下手。
言葉が通じないから微妙な表現ができない。
「百盛」の1階でバーゲンがあり、ポロシャツを2枚買った。
赤色が主体の縦線柄だが、このぐらいのほうがグリーンで映えると思う。

JJさんから連絡が入り、夕食を一緒にした。
久しぶりの「花蝶」だ。
その後、何を買うという目的はなかったがあちらこちらの店を見て回った。
のどかな休日も終わりだ。

だらけてもいい

2006年5月20日
起床は11時30分。

ゆっくり目に起きる。
朝昼兼用で「鮮箸坊」へ。
自宅で仕事、まずまず進む。
その後、15時から寝てしまい、19時30分に起床。
近所で火鍋を食べる。

ゴルフや他の予定がない週末はこんなものだろう。
目的がない一日も、時間の浪費と思わなくなった。
休養そのものにも意義はある。
緊張と緩和、充電と放電・・・。
休むことに意義を見つけ、できるだけだらけるのも悪くない。
いずれ、また、忙しくなるのだから。

接する姿勢

2006年5月19日
起床は6時30分。

台風一過、快晴である。
今日も早朝から常熟行きだ。
一昨日の顧客による工場監査の第2弾。
7時30分に上海事務所に集まり、常熟へ。

途中、8時12分に顧客から電話が入り、今日の予定をキャンセルするという。
沿江高速道路に入ったばかりだったが、すぐに常熟へ連絡し、次のインターから引き返す。
そのまま、虹橋賓館に行き、昼の便で帰国するM部長を浦東まで送るように運転手に指示し、我々は事務所へ戻る。
我々が諸々のことを手配し、自宅を早く出ていることなど顧客は察することもないだろう。
大手企業であればあるほど、こういう気遣いは社内教育として備わっていると思う。
突発的なことであろうと、土壇場のキャンセルが簡単にできると思っているのは「驕り」でしかない。
それもこれも全て飲み込んで、笑顔で気持ちを切り替える振りをする。
そうしなければ下にいるものが育たないからだ。

昼食は女性社員たちと一緒に「鮮箸坊」へ。
たまには奢ってあげなければ。
ま、私の場合、奢りすぎているかもしれないが・・・。
「驕り」ではなく「奢り」は一定程度の善であろう。

日本の老板よりメールが来て、提出済みの報告書の見直しを言ってきた。
難題である。
戦力が不足している。
が、言い訳は通じない。
返答はかなり先になるだろう。

終業後、日本から、というより青島から友人がやってきているのでJJさんも一緒に食事をした。
虹橋の百盛で待ち合わせ、「鮮箸坊」へ。
友人のお連れさんはかなり品のいい美人さん。
彼は常々、青島は美人が多いと言っていたが、その訳がようやくわかった。
間柄は詮索不要だ。

こういう時に「鮮箸坊」はいいと思う。
彼はかなりリッチなので高級な店によく行っているだろうが、「鮮箸坊」のような小区の中にある草の根の美食店は上海では知らないと思う。
私とて、地元にこんな店があるということを長く知らなかった。
これぞB級グルメだろうと思う。

今日、初めて店のオーナーと会った。
30代後半の、流暢な日本語を話す、スタイルのいい女性だ。
タイプかと聞かれると違うと答えるだろう。
でも、いい女だ。

その後、別の小区にあるワインハウスに行き、しばらく歓談。
メンバーで中国語が話せないのは私だけ。
疎外感のためか、無理やりに日本語会話へ引きずり込もうとするが、空回り。
人に接する自分の姿勢の悪さに気付いていたたまれなくなった。
起床は6時30分。

7時30分に朝食を取り、チェックアウト。
1号台風の雨が降りしきる。
工場に入り、前日の監査の課題など打合せをする。
今日は別の顧客の工場見学がある。

11時にLT部長と出張者が到着し、打合せに加わる。
昼食と久しぶりに興福寺の境内で常熟そば。
以前のような感動もなく、味は元々好きな類ではないので食べ辛かった。
衛生的でなく、従業員がだれていて、とても食事を楽しむという雰囲気ではなかった。
中国の田舎はこういうものだというLT部長の言葉を受け止める気がしなかった。

16時過ぎに顧客が来所。
日本からの2名と現地法人の調達部長の3名だ。
18時まで工場見学と打合せをし、やはり課題をもらう。
どうやらどの顧客も我々の工場の規模がまだ小さくて、安定生産ができるかどうか疑問視しているようだ。
現状ではすぐに拡大させるなどの即効性はないが、徐々に充実させている事は確かだ。
しかし、スピードの時代、大きな課題をもらった。

20時30分に上海に戻り、出張者2名とLT部長との4名で「花蝶」へ。
食後早々に解散し、帰宅後にバタンキュー。
多分、風呂も入れないだろう。
起床は6時30分。

8時、上海事務所に集合し、常熟へ。
9時30分、まず我々が工場に到着し、別働隊も10時には到着。
11時顧客の監査チームが到着し、早速会議室へ。
一通りの説明を終えて、昼食は「南海漁村大酒店」。
16時に終了し、上海へ戻る人はそれぞれ帰っていった。
監査での課題は多かった。

本社のM部長と私は市内のホテルにチェックイン。
いつもの3つ星ホテルにできた4ツ星クラスの新館に泊る。
浴室がガラス張りで寝室から見える変な趣味の部屋だ。
とてもビジネスホテルとは言いがたいセンス。

常熟随一の繁華街である方塔街へ出向き、食事。
その後軽く一杯飲んで、翌日からの戦術を練った。
早々にホテルへ帰還し、自室へ戻ったところで、JJさんと電話でいつもの口論となる。
こうなるとどちらがケンカの加害者でどちらが被害者かわからない。
やはり相性が悪いのだろうか。

しかし、結局は詫びて仲直りするが、もやっとしたものが残る。

相互理解はいつ?

2006年5月16日
起床は6時30分。

今日から出張者のアテンド、顧客の工場監査がある。
午前中と昼食は荒らしの前の静けさを堪能した。
午後、第1陣がやって来て、事務所は急に慌しくなる。

会議、会議だ。
それも、奥行きのある会議ではない。
大阪からやって来た担当者と実に場当たり的な対応を協議するという、低次元とも言える会議だ。

いい加減にスパッとやって欲しいのだが、それぞれの思惑が有り、なかなか前に進めてはくれない。
日本との共同歩調が大前提のミッションであるだけに、我々中国側のジレンマも大きい。
相互理解とは程遠い姿勢と深い溝を伴なったスタンスがある。

夜は「鮮箸坊」で6名の会食。
ここは安くて美味いから助かる。
明日は常熟泊まりになる。

身勝手

2006年5月15日
起床は7時。

今日からしばらく私の生活に静寂が訪れる。
身体を思いっきり動かし、しっかり遅くまで仕事をし、そして、飲もう。
しかし、夜のクラブ活動はできない。
そう決めたから。

先日辞めたいと言ってきたアーイさんの後継はなんとLXさんの姪。
まだ学生だ。
いつまで続くか心配だ。
仕事を減らすようにしなくちゃいけない。
でも、LXさんがついているから何とかなるだろう。

昼食は「鮮箸坊」で野菜ラーメン。
本当に美味い。
これで12元とは嬉しい。
毎日でも食べる事ができる。
我が家の新しい食堂だ。
会社から遠いのが玉に瑕だが・・・。

夜、「竹亭」でトンカツ定食を食べてからスイミングに行った。
食べて泳ぐと疲れる。
次からは食べないで行こう。
それにしても、ここの飯は美味くない。
一頃よく行ったが、今は行く気がしない。
客って勝手なもんだと思う。

母の日

2006年5月14日
起床は10時。

母の日だ。
自分の親にはかなり不義理している。
私は超親不孝息子だ。
子供たちにメールを送り、彼らの母親、つまり「妻」に贈り物をするように伝えた。
自分は何もしないのにそれを棚に上げて、子供たちにはあれしろこれしろという身勝手な父親だ。
勿論、来月は父の日があるとしっかりPR付きだ。

JJさんはあるイベント会社が主催した結婚恐怖症の人を対象の相談会に出た。
仕事の付き合いというが、どうも深層心理が働いていたに違いない。
後日、何かの新聞に記事が出るようだ。
ちょっと軽く見ているように思う。
でも、それは本人が考えること。

夜になって「妻」からメールが入り、子供たちと食事をしたとのこと。
息子が買ってくれた花鉢の写真付きだった。
彼女の嬉しさが滲み出ていた。
私の母親に何かして欲しかったが、複雑な背景があるため、叶わなかった。
親不孝息子であることを痛感し、反省する日であった。

夜は「鮮箸坊」、相変わらず美味い。

足元にあるヒント

2006年5月13日
起床は10時。

雨は上がっていた。
でも、上海特有のどんよりした天気だ。
心まで重くなる。
5月なんだぜ、いつまでモヤってるんだろう。

昼食を百盛にあるCoCo一番館のカレーで済ます。
大して美味くはない。
ルーが粉っぽい。
これでも日本のカレー粉メーカーの直営かと疑う。

JJさんは友人と欧米系の婦人たちが主催するチャリティパーティに行き、その友人の絵が高値で売れたとメールを送ってきた。
すごい事だと喜ぶが私にはどうも嬉しさが伝わってこない。
それよりも、JJさんが頑張って成果を出し、スポットライトが当たるほうがずっと嬉しい。

JJさんは、何をすれば良いかが見えていないから、私がそう言っても焦るだけで、うろたえてしまう。
しかし、実は足元に大きなチャンスがあり、それをどうすれば見えるようになるかを基本的に言っているつもりだが私の声がJJさんには届かない。
いつかは判る日が来るだろうが、のた打ち回るのも重要な訓練だから当分は静観するつもりだ。
安易な最短解決コースを求めて、自分の目で探さないようになったらおしまいだ。
起床は7時。

朝から雨だ。
洗濯物やゴミの片付けなど、朝の作業が思ったより多い。
だから少しイラついていた。
血圧は156/111、かなり高い。
昨日より頭が痛く重い。

アーイさんが週に2回来てくれるので何もしなくてもよい、なんて考える人が多いが、それはその間に部屋が散らかっていても、ゴミ箱で暮らしても平気という人だろう。
私はきれい好きではないが、あまりに散らかっているのは気分が良くない。
いつ誰が来てもいいように、ゴミの散乱や台所の洗い物、洗濯物をたくさん溜めることだけはしたくない。
嫌な臭いも真っ平だ。
特にタバコの臭いや、中国の黒酢、調味料で臭いのはたまらない。
当分の間、臭いが消えないからだ。

出社後、来客があり、そのまま1階の「味楽園」で昼食を食べる。
最近、昼食なら来客分も払ってしまう。
つまり領収書をもらわないのだ。
こういう出費が多くなった。

午後から事務処理で終日過ごす。
終業後、1階でスパゲティを食べ、少し泳ぎ、マシンで30分歩く。
帰宅後は疲れて、しかも昨日の運動の筋肉痛で身体が動かない。
出かけるのが億劫だった。

こんな日に限って、JJさんが荷物を運んでいるのでバス停まで迎えに来て欲しかったという。
タクシーで来たら問題ないのに、と言いたかったが止めた。
またケンカになる。
明日も雨か。

ボケ

2006年5月11日
起床は7時。

出掛けに血圧が上がり、下が90台後半。
頭が痛い。
9時に来客があったが会社に到着したのは9時15分。
かなり身体の調子が悪い。
気は重い。
精神が肉体を支配しているためか。

先日、会計事務所に依頼した件で書式ファイルを添付し忘れていた事が判明、ボケの始まりかと不安がよぎる。
もうすぐ57歳、ボケがおきていても不思議ではなかろうが、墓場へのワンウェイを意識させるものはやはり寂しいものだ。
もの忘れを少なくする訓練はある。
できるだけ健忘症を軽くする事が老後を幸福にすることではなかろうか。
いや、周囲には気の毒だが、ボケるほうが幸せなのかも・・・。

上海にあるDHLの対応が悪い。
材料が6日遅れの今日もまだ入荷できていない。
日本の本社へ以後の不使用を指示、詫び状を取り寄せて送ってきたが、日本サイドではなく、上海の対応が極めて悪い事が要因だから、次回より他の便を使用することも検討させる。

昼は「花蝶」、夜は「竹亭」で雑炊を食べ、その後プールへ。
少し泳いだ後、ウォーキングマシンで40分間、歩き プラス ランニング。
やはり走るのは恐る恐るだ。
3月のあの忌まわしい事件、肉離れが怖いからだ。

夕食はJJさんと「屋企湯館」で軽い食事。
遅い時間に行くとメニューも限定され、味もよくない。
これから暑い季節になり、スープは飲みたくなくなるので、当分の間はここにも来ないだろう。

後任はどうか・・・

2006年5月10日
起床は6時30分。

出社後、アーイさんと話し合う。
事情が事情だけにやめたいという申し出を承諾するも、後任の紹介を頼む。
信用して何でも頼める彼女のような人はなかなかいないだろうな。
しばらくは自分で何とかするしかない。

日本の本社へ書類を送付。
疲れる。
多分、やり直しを命じてくるだろう。
頑張るしかない。

夜は静安寺の近くの「粗菜館」にした。
先日仕事で不参加となった○○の会番外編でみんなが行ったところだ。
さほど美味しくはなかった。
この程度の料理はもはやグルメの対象からはずして欲しいと思う。

緊急対応

2006年5月9日
起床は5時。

昨夜早い目に寝たので、早朝から仕事をした。
9時、車が来て常熟へ向かう。
途中、電話でアーイさんが家庭の事情で辞めたいという。
すっかり頼っている人だけに、辞められるのはかなりの痛手だ。

新らしい社員が入っていた。
日本語は片言だ。
どうも履歴書の内容には上げ底が多いようだ。
JJさんがJ工場長の新妻に上げてくれと頼まれていた日本のテレビ番組のDVDを届ける。

上海の顧客から緊急の依頼が入り、生産等の対応を指示する。
困っている人を助ける事は重要だ。
情けは人のためならず。
気持ちよく応じている。
忙しくなってもこの姿勢だけは持ち続けたいと思う。

上海に戻ってからJJさんと「花蝶」へ行った。
やはりここの食事が一番いい。
JJさんは店の女の子に大変な人気だ。
私など誰も声を掛けてくれない。
嫉妬したくなる。
起床は7時。

仕事が始まった。
いきなり、LT部長のPCが故障。
「休暇中、何してたの?」
どうやら彼のPCも休暇をとっていたらしいが、急に働かそうとして機嫌を損ねたようだ。

OYさんが日本からの土産を持参してやって来た。
依頼してあったアルコールスプレイだ。
私にはこれが不可欠なのだ。
脱いだ靴にシュッと一吹きすると雑菌の繁殖を抑え、靴の中が臭わないことは以前にも書いたが、衛生状態のよくない中国で、これから蒸し暑くなってくる時期にこれはありがたい。
早速、今日からアスレチックジムのロッカーに置きっ放しにしてあるシューズに使える。

仕事はいまいち捗らない。
エンジンの掛かりが悪いのだ。
とはいっても仕事はちゃんとしている。
要するに乗らないのだ。

JJさんは友人宅に遊びに行って今夜は顔をあわす予定はない。
最近はよく顔をあわせるので空気のような存在になりつつあるが、いないとその価値がわかる。
帰宅してからも仕事を頑張ろうと思ったが、止めて早めに寝ることにする。

休暇最後の日

2006年5月7日
起床は6時。

7時に古北からクラブバスにのり、上海ウエストへ。
顧客とのゴルフだ。
マイクロバスの最後部に乗ったが、一般道路はもとより、高速道路の路面の悪さがモロに身体へダメージを与える。
到着しても30分以上、体内で揺れは続いていた。

練習時間がかなりあったので、パターゲームをした。
2パットをパーにして、はずしたらワンクラブ分を後退させ、入るまでやって成績を競うもので、はまってしまった。
ラウンドのスコアは相変わらずで、フェアウェイショットとアプローチとパターがよくない。
要はティーショット意外は最悪ということだ。
何でこうなったのかわからない。
アイアンなんて得意のはずだったのに・・・。

終了後の入浴を楽しむ。
ここは風呂と食事が日本のゴルフ場のようで、いい。
ただ、昼食の皿うどんが帰りのバスで胃袋で撹拌されて、帰宅後にトイレで座る結果になった。
マイクロバスには早い目に乗り込まなければならないと痛感した。

帰宅後、休暇最後の日を惜しむように市内を歩いた。
タクシーで中山公園に行き、石門一路で地下鉄を降り、人民広場経由で福州路をぶらつき、四川路との交差点の上海料理店で食事。
久しぶりの夜の市内散策を楽しんだ。

明日から仕事だ。

自炊もよし

2006年5月6日
起床は11時。

昼食は久しぶりに自分で作った。
といっても冷凍餃子と白菜のスープ。
それなりに美味かった。
仕事が溜まっていたので、夕方の○○の会番外編を欠席。
夕食は日本でよく作ったオリジナルのパエリア風トマト煮。
これならいつでも作れるし、栄養があって美味しいし、塩分もコントロールできる。
だが、一人分を作るのではうまく行かないし、作ったものを全て食べるのは苦痛だ。
JJさんにも食べてもらった。

明日はゴルフ、用意をしてはやく寝ることにしよう。

田舎の派手婚

2006年5月5日
起床は9時。

旅の疲れからか、昼前まで眠る。
13時30分に迎えの車が来て、常熟へ。
3月末で寿退社した女性社員の結婚披露宴に出席するためだ。
彼女の実家は常熟でも田舎のほうで、途中、J工場長をピックアップして、電話で場所を聞きながら行った。

大勢の人が集まっており、庭ではケータリングサービスの人が料理をしていた。
16時に宴は始まり、次々と運ばれてくる料理の多さに驚きながら、同席した人と歓談していた。
日本人は我々だけで、あとは地元の人が大半。
それに同席の上海人たち。
16時からの宴では100名ほどが席についていた。

18時、我々は退席し、宴も人を入れ換え、第2部の用意をし始めていた。
これが後3日間続くという。
中国の田舎の金持ちの派手婚の一端を見た。

帰宅後、JJさんの自宅近くへ行き、夕食を食べる。
21時に帰宅、洗濯し、DVDを観る。
起床は8時。

荷造りをし、朝食をとり、チェックアウト。
フロントに荷物を預けて土産物を買いに市内に出た。
市役所の近くにあるカルフールまでタクシーで行き、食料品売り場に足を運んで驚いた。
なんと「たこ焼き」が売られている。

どうみても「かわはぎロール」だろう。
しかし、パッケージには「たこ焼き」とかいてあり、鮫の絵がかいてある。
日本名だと売れるのか・・・。
あまりにも稚拙な商品だけに面白くなり10個も買った。
結局相手の思う壺にはまってしまった自分がおかしかった。

その他、それぞれが幾つかの土産を買い、両手一杯に持って、昼食のために昨日行った青島ビール街へタクシーで向かった。
青島ビールの工場の向かいにある海鮮料理屋に入り、適当に注文した。
あとで思ったが、ここが今回の旅行で最も美味かった。
濾過していない生ビールをピッチャーで飲み、かなり上機嫌になった。

ホテルから青島空港、虹橋空港、自宅とスムーズに移動でき、帰宅したのは18時30分。
楽しい4日間であった。
荷物を整理し、久しぶりに「花蝶」の日本食を食べ、JJさんを送っていった。
やはり私は和食の海鮮がいい。
起床は6時。
6時半から食事を取り、7時にスタート。
運転手君はJJさんと同じ歳で故郷も近いらしい。
人に受け入れられ易いのか、もうすっかり仲良くなっている。
だが、労山までの道のりを30分ほど言ったところで、案の定交通規制の関所が置かれ、交通警官がどっさりいるわ、いるわ。
19人乗り以上の車しか乗り入れできないとのこと。
運転手君は約30分間、あれこれ策を講じていたが、結局あきらめて、開放される午後までは市街地にいることになり、青島ビール博物館へ行った。

まだ8時で早いかと思ったが、丁度男女が1組来ており、同時に回ることになった。
一人は金沢出身の男性で、性格は穏やかそうで、年齢は私よりも少し上だろう。
女性のほうはかなり若く20代の中間だろうと思われる。
二人は我々よりも一日早く蘇州から来ており、今日の便で帰るという。
彼らとはお互いに写真を撮りあったりしてブラブラと時間をつぶした。

ビール党の私は、日本でもサッポロビールの札幌や恵比寿、アサヒビール、キリン、サントリーと一通り工場見学に行っている。
だから、工程そのものはさほど珍しいとは思わなかったが、歴史を学べることと濾過前の生ビールが飲めることは嬉しい。
青島ビールは今もドイツ風味で私が好きなビールだ。
見学コースの途中と終わりの2箇所でしっかり飲んだ。

その後、時間はまだまだあり、運転手君がテレビ塔に行けば青島市内が一望できると薦めるので向かった。
だが、ここで五一休暇の洗礼を受ける。
昇りのエレベーターを待つ行列が長く長く、長〜く続いている。
切符は買っていたし、我々も並ぶことにした。

多少の横入りはあったがある程度整然と行列ができていたので、気分は滅入っていたが、さほど疲れはしなかった。
約1時間並んでようやく展望階へ上がれた。
エレベーターから出て、窓を見たとたん、それまでの疲れが3倍になってどかっと出た。
なんと、濃霧。
すぐ降りるエレベーターに向かったら、これまた約1時間の行列。
つくづく嫌になった。
連休中はこういうところに来るモンじゃない。
大阪人は行列の好きな東京人と違って並ぶのが大嫌いなのだ。

12時15分、ようよう降りて、労山に向かったら、今度は関所もなくスムーズ。
海岸沿いのレストランで昼食。
JJさんはすきな海鮮料理をいろいろ食べ、私は青菜炒めとビールだけ。
晴れで暑かった昨日と違って雲が多く、少し肌寒くなってきた。

労山に登るロープウェイ乗り場について驚いた。
また、行列だ。
それも無秩序に階段一杯に広がっている。
これまた切符を買ってしまっているし、ここに上るための一日なのだから並ぶしかない。
テレビ塔の時と違ってエネルギーが要る。
押すな、押すなでちょっと油断するとすぐ横入りされる。
ただ、並んでいればいいというわけにはいかない。
中国の最も中国らしい光景がここにあった。

約2時間あまり並んでようやくゴンドラに乗れた。
JJさんは高所恐怖症らしく、ゴンドラが揺れるたびに大きな声を上げていた。
上の駅で降りてまた嫌になった。
当然ながら、下りもこれまた長蛇の列。
あとで課せられる重労働が容易に予測できる。

取りあえず山頂を目指し歩き出した。
JJさんはあれだけ昼食を食べたのに、途中の露店で食べ物をあさっている。
その顔に鬼気を感じた。
足腰の弱い人や幼児を連れている人を相手に駕籠ならぬ「腰」がいて、乗れ、乗れと誘いをかけている。
若い私は当然歩いて上るという固い決意をしているため、乗らなかった。
尤も、か細いオッサンがふらふらしながら担いでいるのを見ると、あれは確実に船酔い以上に酔うなと思った。

頂上の寺院に参拝。
JJさんは僧侶の指導で必死に拝んでいる。
その姿には日頃のJJさんの言動とかなりの差異が感じられる。
でも、それはこの国の現状を知るとすぐに納得できる。

不安感、何かにすがりたいという末世的な見方ではなく、或いは祖先を敬い、祭るという純粋な宗教上の理由からではなく、利用できるものはしっかり利用し、自分にとって得する事は洩らすことなく取り込むという、過当な競争の中に身を置いている現代の中国人の卒のない姿勢が感じられた。
こう書くとJJさんはきっと反論するだろう。
自分は純粋に拝んでおり、違うって。

しかし、かつてあれほど否定していた宗教行為を、中国人は今、真剣に取り入れている。
尤も、それは頼みごとをするときだけで、日常的には何もしていない人が多い。
これは台湾も含め、中国人全体に言えることだろう。
無神論者の私が言うとおかしいかもしれないが・・・。
しかし、人が何かを拝み、崇める事は尊いことであり、それを揶揄することではない。

かつて宗教と政治は表裏一体のもので、この国は元々は宗教の盛んな国だった。
それが、当然ながら寺院の強大化がすすみ、勢力としての宗教が国家体制に及ぼす影響をなくすためにしばしば寺院の取り壊しなどがあった。
そこへ毛沢東による革命で社会主義国家になった。
当然ながら唯物論の中では宗教は否定されている。
人の心を思うままに操れる宗教の恐さを為政者たちはよく知っている。
昨今の新興宗教団体による猟奇事件の数々は、宗教の異常性を示すいい例だといえる。

私の両親は日蓮宗の熱心な信者であり、子供の頃より親に拝むことを強要されてきた。
熱心に拝む人に悪人はいない。
だから、宗教を馬鹿にしたりはしない。
しかし、自分には不要だ。
悪人だから?
ちがう、何を拝めばいいのかわからないのだ。
宗教で飯を食っているやつらを敬う気になれないだけだ。

下山の行列は熾烈を極めた。
あんな下品な行列に身を置き、その中で横入りされないように頑張っている自分が惨めだった。
GWを避けて、別の日に、もっとゆったりした休暇にしたかった。
2度とGWに旅行などしない、と痛感した。

タクシーに市内まで送ってもらい、「順峰」で海鮮料理を食べた。
LT部長から、ここは高いので止めた方がいいと聞いていたが、それは明らかに間違っていた。
まず店の雰囲気が一昨日の「海夢園」よりもはるかにいい。
さらに、女性の店員が全員ミニスカートで、美しい脚線を惜しげもなく出して我々の目を楽しませてくれる。
料理も美味いし、値段もさほど高くはない。
ネットの友人がなぜここで食べるのか、よくわかった。
彼なら当然だろう。

22時、ホテルに戻り、荷造りもそこそこに、疲れて寝た。
起床は7時30分。

9時から朝食をとる。
やはりどこのホテルも同じような朝食だ。
ヨーグルトがきちんと保冷器で保管されていたのには好感を持てた。
食堂は本館の地下で、プールサイドにある。
もう少し暖かくなるといい眺めを観ながら食事が出来るかも。

9時30分にホテルを出て、バスに乗って中山公園へ。
別にケチったわけではないが、バスが好きだというJJさんの意見でしぶしぶ乗ったが結構楽しいものだ。
視点が高い分、タクシーよりも景色がいい。
そこに住む人の生活シーンに触れることもできる。

中山公園はさすがにすごい人出だった。
さすがに青島、上海よりも高緯度にあるためか、桜の花がまだかなり残っている。
さらにチューリップも最後の春を楽しんでいるようで、花壇は満開だ。
上海と違い、人の行儀はかなりいい。
ガツガツしていないのだ。

公園のあちらこちらでイベントが催されており、可愛い歌手が歌っていたりしたが、なぜかJJさんはそういうものに関心がなく、花ばかりカメラに収めていた。
もてない君もここまで来れば表彰状ものだ。
春というよりは初夏の日差しを一杯に浴びて、自然の光の快さを満喫した。
もやの多い、排ガス地獄の上海では味わえない幸福感だ。

その後、徒歩で八大関を見て歩き、海岸の日差しをエネルギーに、ファーストフーズをはしごし、海辺の休日を楽しんだ。
さらに、あまりの楽しさに、意地悪くも、常熟や台湾の友人に迷惑電話をして、自宅でモンモンとしている連中を羨ましがらせた。
日頃は割りにおとなしいJJさんも悪乗りし、彼らとの電話を楽しんでいた。
というのも、好きな海鮮料理を嫌というほど楽しんでいるJJさんはもう有頂天で、両手を広げて幸福感を身体一杯表現していた。

あまりに美しい海岸線の岩場、小青島から観た市街地、桟橋の人の多さと夕暮れに差し掛かる街のシルエット。
何を見てもすばらしい景色。
これだけでもはるばるやって来た甲斐があると思う。
その後、街を歩き、歴史ある青島駅を見て、さらに夜市を楽しみ、タクシーで海天ホテルの近くにある韓国料理店に行った。
だが、この店はLT部長のお薦めであったにもかかわらず、あまりのひどさに目を疑った。

料理、サービス、価格、いずれもひどい内容だった。
青島は韓国人が多く、韓国料理がきっと楽しめるだろうと思っていたが、満席のこの店がこの状態だと、青島での韓国料理はおそらく売り手市場、こういう料理で満足している青島は食事の面から見ればおそらく最悪の街だろう。
中華の海鮮料理もさほど美味しいとはいえなかったし、海辺の小店も美味くなく、安くなかった。
きっと青島は観光客も多く、飲食店の競争が少ないのだろう。

帰りのタクシーでJJさんが明日の労山行きの交渉をしていた。
280元で往復してくれるという。
人のよさそうな運転手で、交渉は成立した。
7時30分に迎えに来るという。

ホテルに戻り、本館地下のボウリング場で2ゲーム遊んだ。
もう何年もしていないしボールも合わないので、114/154ならさほど悪いスコアじゃない。
まだまだやれるなと思った。
部屋に戻る途中に先ほどのタクシーの運転手から電話で、スタートを30分早くしたいとのこと。
車両規制があって入れないかもしれないという。
朝食時間を6時30分に決め、それぞれ部屋に戻った。

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