起床は5時25分。

昨夜遅くまで引っ張った償いとして、約束どおりJJさんにウェイクアップコールをして再度寝ようと思ったが、やばそうだったのでそのまま起きていた。
BS放送の朝ドラが終わったあとでJJさんに電話したらもうタクシーで浦東空港へ向かっていた。
ひと安心したら眠くなってきたが、ここで寝ては大変。
急いでコーヒーを濃くいれ、メールをしながら飲んだ。

サンドイッチは少しましになってきた。
人が変わって確かにサービスは落ちたが、今作っている人たちのものが悪いわけではない。
それを受け入れるようになったら、向こうも少しずつ合わせてきた。
この辺りに、他人に何かを求める場合の普遍の原理があるのかもしれない。

今、私の周りでは、あっちこっちで風邪を引いている。
私も少し風邪気味だ。
上海の空気は汚れているから、咽喉がやられる。
中国人はすぐに唾や痰を吐く。
乾燥した空気のせいだと思っていたが、最近は大気汚染の影響が大だろう。

昼食に次いで夕食もいつもの「花蝶」。
21時から食べたが、途中で近所に新しい店を出すクラブのオーナーママ、Eさんから電話が入った。
プレオープンしているので店に来てくれという。
事前連絡もしなかったくせに勝手なものだと思いながらも、食後に出向いた。

工事現場に何度か足を運んだが、開業してみるとなかなかいい店だ。
4組の客が来ていて、既にぱらぱらと帰り始めていた。
自宅から徒歩5分という距離はかなりヤバイ。
下手をすると誘いの電話がじゃんじゃん入るかもしれない。
距離を置かなくっちゃあ。

春到来

2006年3月1日
起床は6時30分。
今日から3月。
月が替わったせいではないが、今日はかなり暖かく穏やかな、春めいた日だ。
天気もいい。
こんな日はランチバスケットを持ってどこかへ行きたくなる。

1年中で春が一番好きだ。
寒く、重く、暗く、長い冬がようやく終わって、やって来る季節。
明るく、さわやかで、軽やかな季節。
重いコートともおさらばし、屋外へどんどん出て行きたくなる。
何よりも新しい息吹が溢れている。
芽生え、そして花が咲く。
だから春が好きだ。
楽天翁の私には最高の季節だと思う。
何よりも身体が楽だ。
血圧も楽になる。

昨日の下痢はかなりよくなった。
朝食のサンドイッチを食べ、その後外出したがこれといって問題はなく、打合せ時も普段どおりだった。昨日の粥と雑炊が効いたのかな。
それとも胃腸薬か。
明らかに後者だろう。

帰路に「花蝶」で昼食を取り、14時30分に帰社。
事務処理をし、定時の終業で徐家匯へ急いだ。
明日から日本へ帰るJJさんにあるものを渡すためだ。
複合ビルにある本屋の前で待ち合わせた。

食事をしようということになり、何を食べたいかを聞いたら、昨日の夜に思いっきり刺身を食ったという。
少しむかついた。
こっちはひどい下痢で雑炊だけだったというのに・・・。
そこで、食事は上海料理にした。
しばらくは日本料理を食べることになるJJさんにはいいかと思った。

徐家匯周辺にはレストランは多いが、町自体が新しいからか、老舗は少ないし、競争もあまりないように思える。
要するに高くて美味くないのだ。
ま、この辺でという店だったかもしれないが、JJさんには気の毒したなと思う。
食後、ちょっと歩き、喫茶店に入ってコロナビールを飲んだ。
中国の喫茶店の殆どは食事もできる「半分レストラン」的なもので、日本にはないタイプだ。

明くる日の起床が早いJJさんを遅くまで引っ張ってしまったが、23時頃に別れた。
帰宅して洗濯機を動かした。
明日は木曜日、アーイさんが来る日だ。
洗濯物が多いので、少しでも減らしておいてあげようと、1回分の洗濯を翌朝出掛けに乾燥機に入れるところまでやっておく。
アーイさんへの協力のように聞こえるが、実は、彼女の最近の洗濯が時間に追われてきれいに洗えていないので、自分自身でするほうがきれいなのでしている。

明日の朝、5時30分にJJさんを電話で起こすことになっている。

健康のハンディ

2006年2月28日
起床は6時30分。
2月も最終日だ。

寒い雨の朝。
起きると身体が重い。
もっと寝ていたいという信号が出ている。
しかし、寝てはいられない。
8時にきた迎えの車で、常熟へ。
今日から1泊2日。

途中、電話でL部長の容態を聞く。
彼は昨夜から下痢が激しく、苦しんでいるらしい。
実は私も今朝から下痢気味だった。
上海側の代表が2日以上不在というのは困るので、日帰りに変更したい旨を工場長に伝える。

出社後、伝票処理など諸々の事務処理をし、資料を整理した。
しかし、腹具合は酷さをまし、ついにはトイレからなかなか出られないようになった。
昼食は近くの中華レストランで青菜粥のみ。
午後から内装業者、大家さんとの打合せが続き、現場下見なども含め、5時まで精力的に働いた。
ひどい下痢の割にはがんばれたと思う。
でも、いざという時に踏ん張りが利かない。

遺伝など生まれつきの体質や公害による異常体質など、本当に気の毒なハンディキャップはある。
しかし、ほとんどの健康面でのハンディキャップは自分の責任だ。
私のような不摂生がもたらした結果であれば尚のこと、最も恥ずかしいものだと思わなければならない。
これはハンディキャップとは言わない。
恥じなければならないことだ。
風邪も、腹痛も、胃も、肝臓も・・・大抵は回避できるものかもしれない。

上海に戻り、自宅でゆっくりしていたら空腹感が出てきたので、23時に近かったが「花蝶」のK店長に電話した。
「大丈夫? お店に来て。何か食べないとダメですよ。雑炊でも粥でも作れるからね」
お言葉に甘えて・・・閉店片付けの進んでいる店に行った。
今の私にはまさにここが自宅の食堂。
こんな時間でも来れるのは助かるね。

約1時間後に帰宅し、メッセンジャーでJJさんと駄弁った。
テンポの速いチャット、鋭いツッコミに年寄りはタジタジになる。
でも、楽しくて時間を忘れるほどで、清々しさを感じる時が多い。
JJさんは今日、同僚たちと食事したとのこと。
明後日から日本へ帰り、帰還後は新しい職場に移る。
持ち前の明るさでがんばって欲しい。

入浴して洗髪したら頭部の手術跡がひりひりし出した。
消毒をいつもより念入りにし、抗生物質入りの軟膏をしっかり塗った。
まだ1週間はかかるだろうな。

恭喜、恭喜

2006年2月27日
起床は6時30分。

かなり寒い朝だ。
8時20分に迎えが来て、徐家匯へ向かった。
先日の会計事務所と打合せをするためだ。
約1時間の打合せの後、事務所に帰った。

病院へ行く日であったが、会計事務所とのアポが急に入ったので、10時の予約を13時30分に変更してもらった。
脚の肉離れは鍼と灸で少しずつ良くはなっているが、思ったほど進んでいない。
ま、焦らずにやろうと思う。
10円ハゲは医者の許可を得ずに洗髪したから、クレームがついた。
でも、臭いのは嫌だ。
こちらも完治まではまだ1週間以上かかるようだ。

JJさんからプレゼンテーションが成功したとの知らせがきた。
祝辞を述べ、夕食を一緒にすることにした。
何が食べたいかを聞いたら、「花蝶」という返事。
よほどこの店が気に入ったらしい。

時間が来て、店に行くとK店長始めみんながJJさんに祝辞を送ってくれた。
こういう雰囲気の店は少ないかもしれない。
JJさんがこの店を好きになるのは当然だろう。
私もきっちりはまってしまっているから。

23時30分まで店にいて、その後JJさんと別れて帰宅した。
入浴し、日記を書くともう1時だった。
明日から1泊2日で常熟だ。

保護者?

2006年2月26日
起床は11時30分。

雨は上がっていたが、かなり寒い。
することもなく一日中オリンピックのBS番組を観ていた。
日本は今回、メダルが期待された選手の敗退が相次ぎ、感動が少なかった。
4位五輪などと言われるほど、情けないものだった。
もし荒川静香が取れなかったら、玉砕するところだった。
そんな中での金メダルは本当に光っていると思う。

夕食をJJさんと「花蝶」のK店長とで行くつもりだったが、JJさんが遠慮したため、K店長と2ショットになるはずだった。
それを察してか、K店長は友人を一人連れてきた。
おかげで両手に花のいい想いをしたが、多分、世間の人からは娘に付き添っている親父としか見えないと思う。
目的の「柚子」がまだ営業開始していなかったので、淮海路へ出て、「映水堂」に行った。

K店長と友人Kaさんは同じ歳。
どちらも若いが落ち着いてみえる美人だ。
特にKaさんは上品な所作で、日本人と間違う感じだ。
Kさんは愛想がよく、笑顔が可愛い。
いつも私は保護者感覚で接している。
食後に淮海路の「百盛」により、しばらく商品を見ていたが、閉店時間になったので打ち上げて、タクシーで帰った。

帰宅後、疲労感があったので早い目に風呂に入った。
起床は6時50分。

間違って6時30分に携帯電話の目覚ましが鳴り、それを止めて再び寝入ったはずだった。
だが、6時50分、JJさんからの電話で再度起こされた。
見事に読みは外れた。
二度寝はできず、そのまま起きる事になった。

自分のPCが壊れたから私のを貸してくれという。
ちょっと呆れた。
この人はなんと言う厚かましいのだろう。
こんな時間に、我が家までPCを取りに来るという。
人に頼るのも常識が外れていないか。

すぐに着替え、洗面し、ベッドを片付け、カーテンを空け、部屋を小奇麗にした。
7時20分、JJさんはやって来た。
貸してもいいようにバックアップをとっていた愛用のPCを貸してあげたら、このままここで作業をしたいという。
午後2時からのプレゼンテーションに間に合わないかもしれないからという。

そうだろうな。
いたって常識的な人が厚かましく言ってくるからにはそれなりの理由があったのだが、内容を見て、出来上がりまではまだまだ時間がかかるだろうと思った。
切羽妻っていた事は確かだ。
頼ってくれる事自体は悪い気がしないし、先日、JJさんの身の上話に涙し、ファンであることを宣言した訳だから、多少時間が早くても、応援できることは喜びであるし、文句は言うまい。
それにしても、眠い。

途中、朝飯代わりにざるそばを作り、昼食用にパンと飲み物などを買いだしに降り出した雨の中を行き、そういうことをしている自分を客観的に見ようとしていた。
ま、理由は考えまい。
そうしたいからしているだけなのだから。
やがて、出来上がったもののプリ・プレゼンテーションにつきあったが、内容をいじらずに表現の不具合だけを修正した。
時間がなかったこともあるが、出来合いはかなりいいものだったし、完成度が高すぎると相手が警戒することもあり、多少の失点は反って受けがよくなると思ったからだ。

正午過ぎにJJさんは出かけていった。
その後、眠ろうと思ったが、なかなか寝付けず、結局そのままテレビなどを観て起きていた。
夕方、果物を買ってJJさんが戻ってきた。
プレゼンテーションはまあまあうまく行ったようだ。

PCをセットし、メシに行こうといったところでJJさんが言ってくれた言葉で私は冷や水を浴びた。
「今日、○○○の会よね」
しまった。
忘れていた。
最近の自分の健忘症にはつくづく呆れてしまう。

JJさんに途中までタクシーで送ってもらい、1時間遅れで会に出た。
JJさんはそのまま帰宅した。
会は新疆料理で、27名という盛会だった。
料理自体は好きでなく、あまり食べられなかった。

同じ方向へ帰る人をタクシーで送り、そのまま、水城路のいつものクラブへ行った。
明日がLAさんの誕生日だから、花束を届けるためだ。
その後、店でしばらく飲んでいたらママが挨拶に来た。
相手をしなかったら強引に席に押しかけ、言いたい放題言ってさっさと帰っていった。
呆れた。
こんな店、二度と来たくないと思った。
何度も思ってきたが、今度は本当に腹が立った。
起床は7時30分。

疲労と風邪が原因だと思うが、起きられなくなってきた。
昨夜は3時に寝たから4時間半の睡眠だ。
今夜は早く寝ようと思う。

8時30分に迎えの車が来て、出張者が泊まるホテルに行った。
チェックアウトを手伝い、その後、空港へ行くまでの僅かな時間に市内を案内するためだ。
スタートが少し遅れたため、ホテルには9時に着いた。
チェックアウトを無事に済ませた彼らを乗せて、浦東に行き、正大広場のスーパーで土産物を買い、金茂大厦に上った。
いつもは霞んであまりよく見えない上海だが、この日は幸運にも天気が良く、結構広い範囲が見渡せた。

11時に浦東空港から帰国する彼らと別れ、地下鉄で中山公園まで出て、後はタクシーで虹橋の「百盛」へ行って昼食をとった。
その後、自宅へ寄って湯沸かし器交換に伴なうガス工事をしばらく見たが、すぐに帰った。
アーイさんは今週4日も出てくれた。
大家さんの段取りの悪さがこうしたのだが、嫌な顔一つせずに応じてくれている彼女には本当に申し訳ないと思う。

午後からまた、仕事を自分なりに精力的にこなした。
ダメ総経理はあまり仕事をしないほうがいい。
みんなが育つ。
私が動けばみんなは動かなくなる。
嫌なことだが、そういう対極にあるのだ。

夜、蘇州から友人のJJさんが上海に帰ってきたので、一緒に食事をした。
場所は勿論、「花蝶」である。
JJさんはどうやらこの店を気に入ったようだ。
店の人たちもJJさんを気に入っているように見える。

PCでプレゼンテーションの仕方などを指導しながらの食事はダラダラもので、店にはかなり遅くまでいた。
明日が2次面接というJJさんは資料作りがはかどらず、少し焦っていた。
私も少しは手伝うことを約束し、その後、JJさんを送り、23時30分に帰宅した。
内容チェックを手伝うデータが来るのは10時頃になるはずだから、それまでは眠れる。
入浴し、日記を書き、DVDを観て3時30分まで起きていた。

常熟料理は塩辛い

2006年2月23日
起床は7時。

昨夜もどこにも行かずに早く寝た。
といっても、うたた寝ばかりで風邪を引いたようだが、睡眠時間が長いというのは嬉しいことだ。
最近の私は本当に眠らなくなった。
睡眠時間は平均すると4時間をきっていると思う。
だから、風邪も引きやすくなっているし、肝臓の回復も遅い。
怪我もしやすくなった。
単なる歳だけではない、自分が撒いた「不摂生」という種だろうと思う。

朝食は昨日と同様、8時から3人で食べた。
チェックアウトし、工場へは9時過ぎに入った。
本社経理による監査の二日目だ。
仕事が円滑に進む大きな要素はコミュニケーションと連携の仕組み。
今回、私がこの機会にやりたいことはそれの構築である。

午前中の打合せは約1時間。
11時には損害保険会社の女性担当者2名がアポ通りに訪れた。
打合せの後、本社勢も加わって一緒に食事に出掛けた。
昨日が南海漁村酒店だったので、今日は香園にした。

ここも常熟では有名なレストランで、常熟特有の我々日本人には少し塩辛い味だ。
あれこれ注文して支払った価格は一昨日の3名で食べた食事よりも安かった。
実に驚きである。
運転手も入れて6名で楽しい食事だった。

帰社後、大家さんとの打合せのため工場長を連れて開発区へ向かった。
本来は内装施工会社も立ち会うはずだったが、来なかった。
彼らは3月中に施工できるのだろうか。
できないのに打合せにも来ないといういい加減な会社だ。

幾つかの現場を下見して、帰社したのは16時。
その後、本社経理の出張者と最終会議をし、常熟を出たのは18時過ぎ。
上海に戻り、まず彼らの投宿するホテルにチェックインし、その後我が家に荷物を置いて、20時30分に「花蝶」へ入った。
常熟で中華料理ばかり食べてきたので、日本食を選んだ。
腹一杯食べて、飲んだが、彼らはかなり酒が弱いと見えて、すっかり出来上がってしまった。

店を出て、タクシーで外灘へ行き、車内から夜景を見てから、ホテルに送っていった。
その後、南京西路にある行きつけのクラブに行き、1時30分まで飲んだ。
帰宅後にオリンピックニュースで、フィギュアスケート女子シングルの荒川静香選手が金メダルを取ったことを知り、大声で万歳を叫び、祝った。
表彰台に立つ荒川静香選手を見ていると涙がぼろぼろ落ちた。
今回のオリンピックで泣いたのは、女子カーリングチームの活躍とこの荒川静香選手の2回だ。
実に感動の少ないオリンピックだった。
この後にメダルが期待できる選手はいない。

会計士

2006年2月22日
起床は6時30分。

朝食は8時から3人揃ってとった。
この街では一番の5ツ星だけに、朝食はまずまずだ。
実は一人だけで常熟に泊まる場合、私は大抵このホテルにしている。
他に比べて格段に快適だからだ。
今回は出張者からのリクエストがあり、ここを選んだ。

工場へ行き、まず今日の経理事務処理に関する打合せの段取りを話し合う。
やがて、10時に上海からL部長に案内されて会計事務所の2名が着いた。
早速会議が始まり、昼までたっぷり濃い密度で打合せ。
中華料理での約2時間の昼食をはさんで、18時30分過ぎまで激論を交わした。

会計処理については最初から課題が幾つもあった。
日本の親会社側の思惑と中国側である我が社の経理担当者の考え方や価値観に大きなギャップがあり、私ではそれを埋めきれないので日系の会計事務所に入ってもらうことにした。
日中両方の実務知見が高く、言葉の壁もない会計士に処理してもらい、双方を指導してもらうことは、今の時期には必須の要素だ。

終業後、ホテルに戻った後に昨日と同じ方塔街へ向かったが、なかなかタクシーが来なかったために20時をまわり、レストランはほとんど終わっていた。
仕方なく、いつもまずいと思っている日本ラーメン屋に行き、ラーメンと餃子、エビフライなどをビールのあてにして、簡単に済ませた。
2日続いて常熟での晩飯はあまりよくなかった。

常熟は今日も雨

2006年2月21日
起床は6時30分。

コンビニ弁当に箸をつけるのは何年ぶりだろうか。
食べる時間も惜しんでチェック作業を進め、提出書類はどうにか午後一番に出来上がった。
そのほかの仕事を処理し、日本からの出張者の到来を待った。
今日から金曜日まで本社の経理課が監査にやって来る。

提出書類を一日遅れでメールして、肩が軽くなった。
上海での出張者との打合せを終え、車で常熟へ向かった。
今夜と明日の晩の2泊、私も付き合って向こうで泊まる。
今にも雨が降り出しそうな雲行き、意外にも道路はガラ空きで、常熟へは1時間20分で着いた。

工場へ寄り、工場長と合流し、宿舎の常熟国際飯店にチェックイン。
その後、自宅する工場長を送り、そのまま待ちの中心の繁華街へ行き、中華料理店で食事をした。
歩行者天国になっている方塔東街をぶらつき出した時に雨が降り出した。
それもかなり強かったので、急いでタクシーを捕まえ、ホテルへ戻った。

時々行くクラブのママに電話したら、昨日で閉店したという。
小さな町で日本人も少なく、経営が苦しかったのだろう。
彼女達は今月分の給料ももらえず、明日からどうしようかというところだが、意外にあっけらかんとしている。
慣れているからだろうか。
たくましく感じた。

雨のおかげで早い目の帰還になり、早々に入浴した。
頭髪を洗いたい。
今日で1週間だ。

涙腺破損?

2006年2月20日
起床は6時30分。

サンドイッチ屋のお姉ちゃんはまだ帰ってきていなかった。
いつもの店では普通に出来合いのものを買った。
ま、考えたら当り前なのだが、一度特別な待遇を受けると普通に戻ることにも抵抗が出てくるから、人間というものは欲どしいものだとしみじみ思う。

今日が締め切りの仕事はどうやらその約束が履行できないことが判明した。
しかし、日中にかなり駒が進んだので、明日はきっと出せると思う。
今夜は友人のJJさんと食事の約束をしている。
だから、仕事は遅くまではできないから、自分の中では提出は明日と既に決めている。

昼間、自宅の近くの路上でアーイさんにあった。
今、我が家ではガス工事が行われているという。
自宅に戻ると、大家さんや工事業者が入れ替わり立ち代りでキッチンに入り、上海人特有の大声でわめいていた。
暫くいたが、することもないので会社に戻り、仕事に没頭した。

終業後に帰宅するとアーイさんがまだ作業していたので、暫く洗濯などを手伝い、19時30分過ぎに彼女は帰っていった。
その後、JJさんと連絡が取れ、今いる蘇州から上海へ戻ってくるのは21時ごろになるとのこと。
その間、自宅で仕事を追い上げた。

21時30分にJJさんから「花蝶」に着いたとのことで、急いで店に行くと、店の計らいで座敷が用意され、JJさんはすでに席についていた。
オーダーの時点から店の人がひっきりなしに入れ替わり立ち代りやってきて話しをしてゆく。
K店長は今日から故郷へ戻っているので不在だったが、副店長のHさんや料理長が細かく気遣いしてくれた。

彼らの私への配慮は嬉しかった。
JJさんとの食事を彼らなりに歓迎してくれていたようだ。
先日のクラブのママとの昼食や、その前の友人LLさんとの夕食などでは誰も席に近寄ろうともせず、明らかに拒絶反応を示していたのに、今回はそれまでとは違って、いつもの一人で食べに行った私に接する態度を同じだった。
尤も、一昨日の深夜カラオケが効いている事は言うまでもないが・・・。
しかし、JJさんに対して店として好印象を与えた事は確かだろう。

JJさんについて私は何も知らなかった。
○○○の会で知り合い、一度だけ3人で2次会に行ったことがあったが、それっきりだった。
それが、メッセンジャーで時々話すようになり、中国語で書かれたブログも読んで、日本人にしては少し変わった考えをもつ人だとは思っていたが、その生い立ちや生業についてはずっと知らずにいた。
今日、改めてJJさんがさりげなく語る苦労話を聞いているうちに知らず知らずに涙が出てきた。

人が語る苦労話とその後に掴んだ成功談や幸せに心を動かさない人はいないだろう。
しかし、いつもなら涙を必死でごまかすのだが、今日は不覚にもしっかり泣いてしまった。
声まで上げそうになるのを必死でこらえた。
もう、恥ずかしいなんて気持はなかった。
確かに、今考えたらすごく恥ずかしい話であるが、男としては情けないほど泣いていた。

年寄りは涙もろい。
若い頃から泣き虫だったが、このごろ病的にその症状が進行している。
涙腺が壊れたのではないかと思うほどである。
朝ドラに泣き、「大長今」では大声を上げて泣いた。
勿論、一人だけの部屋で、である。

人生で流す涙の量が決められているならば、私は既に3度目の人生を送ったことになるだろう。
流した涙の数だけ人は幸せになれるという。
落ちた汗のしずくの量だけ人は大きくなれるという。
ウソだ。
涙もろくて汗っかきの私はどうだろうか。
ま、流し方、かき方に違いはあるだろうな。

JJさんの考え方が少しずつ理解できるようになってきた。
友人として、人生の先輩として、応援団の一人になりたいと思った。
上海から蘇州へ会社が移転したため、転居を余儀なくされることに苦慮しているという。
できるならばこのまま上海にいたいという。
何か力になって上げられることはないだろうか。

JJさんと別れた後、最近では感じられなかった清々しい気分なり、そのまま帰宅した。
明日の最後の追い上げに備えて体力を養っておくため、早く寝ることにした。
23時30分、これから入浴だ。

雨の蘇州で球遊び

2006年2月19日
昨夜はいつもの「花蝶」で食事をし、その後にK店長と「百盛」4階のカラオケボックスに行った。
最初は店長の他にあと一人店員が来ることになっていたが、来たのは7名で、合計9名のグループになった。
飲んで食べて、元気一杯はしゃいで、1時30分に彼女達は帰っていった。
サービス業とはいえ、愛想の悪い店が多い中で、いつも楽しく食事ができることを考えると、たまにはこういう還元もいいかと思う。
就寝は午前2時30分頃だった。

今朝の起床は7時。
寝不足気味だが、風呂に入って目を覚ます。
右足ふくらはぎの肉離れした部位をよくマッサージをし、薬を塗った。
9時に迎えが来るまでに準備しなければならない。
今日はある日本人会のゴルフコンペ。

足の状態はまずまず。
これならギブアップしないでいけそう。
無理はできない。
しんどくなればギブアップしよう。

ビッコはまだ続いている。
蹴るというアクションが怖くてできない。
筋肉に痛みも残っているし、悪化を恐れる。
これで18ホール回れるのだろうか。

会場は蘇州のあるゴルフ場。
昨年の11月にもそこで開催された。
乗用カートがないコースだ。
歩ききれるか、不安だ。

11時20分の集合時間だが、10時過ぎに着いた。
服を着替え、コーヒーを飲み、練習場で一通りの練習をした後、集合時間が来て開会宣言があり、さあ、これからがんばろうというところで、待ったがかかった。
キャディが春節休暇からまだ帰ってきていないので足りないという。
結局スタートは40分遅れの12時25分になった。

日が少しは長くなってきたとはいえまだまだ短い冬季に、ただでさえ予約されたスタート時間が遅いのにさらに遅れが生じ、日没との闘いになる事は容易に想像できた。
それに加えて、前半のOUTではプレイが遅く、そこここでかなり待たされた。
日本では迅速プレイを必須としているが、中国でもこんな遅延プレイは珍しいと思う。

足が痛いのでフルスイングができず、また、みんなの歩く速度に遅れないように必至で歩くので足への負担が大きく、スコアどころではなかった。
でも、飛ばないが大ブレもせず、ショットは結構安定していた。
特に、最初のミドルホールは刻んで3オンしたが8mのパットを沈めてパーで上がり、幸先のよいスタートだった。

最後、日没ギリギリで上がってみると、スコアは普段よりも少し悪かった。
4パット、3パットがあり、どっしり構えなくてはいけないところで足の痛みがモロに応えた。
でも、予測していたよりもましなスコアで上がれたと思う。
ま、いい訳たっぷりであったが、組み合わせで初めてのメンバーばかりだったが非常に楽しく回れ、さらにオリンピックは私の一人勝ちだったので、上出来だったと思う。
風呂に入らず、着替えだけして、蘇州市街地の日本料理屋で表彰式と新年会をし、上海へ戻ったのは21時30分をまわっていた。

帰りの車内で寝てしまい、少し風邪を引いたようだ。
足が痛いのにゴルフに行ったというだけでも心配を掛けているみんなには悪いと思っているのに、その上に風邪などと言えばみんなに叱られること必至である。
早々に入浴し、ひたすら安静を保ったが、咳は本格的になっている。

雪景色

2006年2月18日
雪景色
起床は8時。

カーテンを開けて驚いた。
雪景色だ。
細かい雪が降り続いていて、木々や屋根を白くしている。
上海に来てちらつく雪を見た事はあったが、積もった雪はこれが初めてだ。
でも、この雪はすぐに消えるだろう。
気温は3度、結構肌寒い。

10時にアーイさんが姪を連れてやってきた。
昨秋に外大付属の日本語学校に入ったばかりで、よく判らないので教えてくれと言う。
約1時間半いろいろと教え、午後からの授業に出るために彼女らは帰っていった。
アーイさんには3歳の男の子がいるが、故郷の姉から預かった姪の面倒も見ており、まるで自分の娘のように可愛がっている。
中国人の身内を大切にする気持がよく見える。

「花蝶」での昼食の後、地下のスーパーで冷凍食品やビールなどを買って帰った。
気分はますます乗らない。
明日の夜には提出しないといけない報告書が全然できていない。
しかも明日は終日、外出の予定が入っており、今夜中にするしかないがこの心理状態ではできないことは自分が一番よく知っている。

一体私はどうしてしまったんだろう。
私を支える身体の柱がなくなってしまったような無力感から抜け出せないでいる。
何も考える必要はなく、ただ作業をするだけなのだが、それができない。
ジレンマを通り越して、あきらめの域に入っている。

絶交した人から無理難題にも等しい課題を持ちかけられた。
できるはずがないし、しなければならない理由も無い。
当然、真正面から反論した。
朝の雪景色のさわやかさはとっくに消え失せてしまっている。
ドロドロは当分続くだろう。

ドロドロの水の中で

2006年2月17日
起床は6時30分。

10時に先日の病院へ行った。
静安区中心医院の10階にある国際医療センター。
受付のねえちゃんは流暢な日本語でハキハキとものを言う。
皮膚科の女医は相変わらず無愛想なメガネねえちゃん。
足の肉離れも、頭のできもの除去も、経過は順調とのこと。
洗髪はやはり2週間ダメだそうだ。
早く治ってくれないとみんなにますます嫌われるよ。

仕事が溜まっているのに何もできない。
体調と対人関係と本社との距離感という、すっきりしない要素が幾つかある。
なによりも、絶交した人との愛憎が形を変えて見え隠れする中で、気持の落ち着きを取り戻すのは至難の業だ。
電話もメールもインターネットも切ってしまいたいと思う。

しかし、自らが撒いた種、何とかするより他はない。
無視か、逆に反論するか。
いずれにしても逃げてはいけない。
即対応ができる形での選択だ。

夜は「花蝶」でのんびりし、何もせずに過ごした。
金曜日の夜も今の私には花でもなければ明るさもない。
ただ、普段の夜と同じなだけだ。
体調の悪さと気持の重さが私の動きをセーブしている。

少しずつ焦りが出てきた。
時間が迫っている。
ステップアップの期限はまもなくだ。
仕事は待ったなしだ。

寒い日はやはり火鍋

2006年2月16日
起床は6時30分。

昨夜に続いて今朝も風呂に入ったが、頭髪を洗えないのでマイクロファイバーのクロスで拭いた。
しかし、毛根に固まっている皮脂の除去はできず、酸化して悪臭を放っているだろうと思うと呪いたくなる。
普段は毎日必ず洗髪しなければ皮脂から放たれる加齢臭の塊のような悪臭は防げない。
とにかくレーザー光線による手術の傷口が完全に塞がるまでは我慢するしかない。

今朝は迎えの車がないので痛い足を引きずって徒歩で出勤した。
家でトーストを食べたのでサンドイッチは買わなかった。
いつも私に特別製のものを作ってくれたチーフ格の女性がいないから美味しくないし、L部長が蘇州へ行っているので一人分だけになるからだ。
あの名前も知らないチーフ格の女性は春節回家からまだ帰っていないのか、それとも上海へはもう戻って来ないのか・・・。

昼は雨も降ってきたので、久しぶりに我がオフィスの入っているビルの1階にある居酒屋に行き、日替わり定食「ミニ鉄火丼+そば」40元を食べたが、やはり美味くなかった。
ここへ来なくなった理由が再確認できた。
「花蝶」と比べると差は歴然だ。
同じ金額の日替わり定食なのに内容と味にすごい差がある。
家賃は「百盛」に入っている「花蝶」の方がはるかに高いだろう。

午後から来客打合せを2件こなし、事務処理もかなりした。
終業後、新しく虹橋に店を出すクラブのママEさんから相談があるというので、指定場所の仙霞路と水城路の交差点まで行った。
カラオケシステムのメーカーが経営するカラオケボックスにある装置を見て欲しいという。
店に適した装置を決め、その後、交差点にある火鍋店でママとその従業員のAさんと3名で食事をした。

この店はローカル的だが、安くて結構美味いのでいつも賑わっている。
5月に友人のFさんと初めて会ったのもここだった。
火鍋はリーズナブルで健康的な食べ物だと思う。
特に今夜のような寒い雨の日はこれが一番だ。
日本料理屋の鍋とはちょっと違う。
庶民が自宅では食べられない味を楽しむためのもので、自分の好みに合わせて注文する具の多様さがいい。
日本の鍋は家庭料理の典型であり、それぞれの家庭独自の味があり、温まるし食べやすいし美味い。
だが、料理屋の鍋は取ってつけた内容であり、忘年会などの宴会のためのもので、高いだけでとても満足できるものではないと思う。

その後、二人は我が家で2時間ほど遊んで帰った。
何もない家でも、パター練習やテーブルゲームなど、遊ぶ気になれば遊べるものだということがよく判った。
我が家に来て退屈している連中は、大抵DVDを観るか、酒を飲むか、はたまた寝るか・・・。
今日の彼女らの健全な姿勢を見習って欲しいと思う。

ともあれ、23時に彼女らは帰った。
その後、30分で入浴も終えた。
今夜は早々に寝るつもりである。

10円ハゲ

2006年2月15日
起床は6時30分。

昨夜は聖バレンタインデー。
結局チョコは一つだけだった。
最も欲しい「妻」や娘からはもらえなかった。
こちらの友人たちも日本人以外は誰もくれなかった。
中国人女性は、物は男からもらうもので、男に上げるものではないと思っているからだ。
日本人の女性複数人から食事の声が掛かったが、お断りした。
実は毎年書いているが、この日は私にとっては特別の日なのである。
だから、この日の指定席は他の人には座らせないのだ。
勿論、その座る権利を与えたい人は、「妻」である。
チョコレートなんか、カロリーも高いし、虫歯の元だから、不要。

病院に行くと、あるいは当分風呂に入れないようになるかもしれないという予感があったので、昨夜入浴していたのだが、今朝も風呂に入った。
いつものようにサンドイッチを買って会社へ。
銀行口座の振替えなど、午前の業務を簡単に指示した後、損保会社が予約してくれた病院へ向かった。
いつもは日本人の経営する医院にゆくのだが、今回は内容が違うので中国の公的な病院になった。
不安はかなりあった。
言葉ではない。
丁寧さで、だ。

病院の中に国際医療センターがあり、日本語で表示されている。
利用者が多いのだろう。
受付も日本語対応できるし、通訳も日本人がいる。
各科の先生が来てくれるので動かなくてよい。
安心できるなと思った。
しかし、現実はやはり怖しいものであった。

女医で、結構やさしく診てくれるが、肉離れなどの病名が中国にはなく、いきなりマッサージと言い出す。
筋肉が切れていないかと訪ねると、こういう場合は靭帯を傷めていることが多いのでマッサージがいいと言う。
レントゲンも撮らない。
薬は日本から持参した塗布薬をそのまま使えという。
とにかく、マッサージは止めてもらい、鍼灸治療になった。

その後、皮膚科の女医が来て、胸部と足の患部に塗る薬を処方した後、頭部のできものを診てくれた。
俗に言う「イボ」なのだが、一つは大きく成長しているし、一つはそこからの伝染である事はすぐわかる状態で、早期に除去しないといけない。
レーザー光線で焼き取るのでハゲを覚悟しろという。
最小限のサイズで、という前提付きで承諾したが、施術する医師には伝わっておらず、結果的にはかなり大きな傷跡が残るようになった。
しかも、麻酔は下手だし、マスクもせず手術中に隣の職員と大声で話をするものだから、私の患部につばが一杯かかっているのを感じた。
言葉が話せたら思いっきり文句を言ってやるんだが・・・。

終了後も簡単に消毒するだけで、ガーゼも当てなければ包帯もない。
血がたれているのに、である。
この辺が中国なのだ。
いい加減としか言いようがない。

帰社後に会社の人に測ってもらったら大きいほうは22mmφだった。
また、気分が暗くなった。

「花蝶」で夕食をとった後に南京西路でちょっとだけ飲み、早い目に帰宅。
自宅の湯沸かし器取替え工事は来週に延期。
風呂は相変わらず湯の出がしょぼい。

他人の不幸は・・・

2006年2月14日
起床は6時30分。

昨夜の肉離れ症状から来る痛みのため足を温められないので、朝風呂でさっと身体を温めた。
浅い洋式バスで足を出すのは女性が似合うが、男の私がやるとどうもカマっぽくて気持が悪い。
しかし、浸けられないので無様な右足を湯の上に出して入ったが、自分の姿に嫌悪感を抱くなんて不幸極まりない。
こういうポーズをとらなければならないようにした自分の行為を悔いた。

常熟へ行く途中の車の中で常熟と上海の責任者に電話で足のことを話したら、誰もが大声で笑ってくれた。
工場の従業員も、訪れる客も、訪問した開発区の役人たちも、笑ってくれた。
夜、電話をした友人のHさんも笑っていた。
みんな心が温かいのだろう。
くそっ!

「他人の不幸は蜜の味」なんだ、世の中のみんなは。
年寄りの冷や水、身から出た錆などなど、ひどいキャッチもつけてくれた。
覚えていろ!!
お前らが怪我でもしたら俺は大声で笑ってやる。
自らは痛い想いをしてまでみんなを笑わせている、まるでピエロのような自分に呆れていた。

夜、上海に帰り、「大長今」のDVDの残り全てを一気に観て、涙を思いっきり流した。
ドラマの最後はかなりストーリーも走り気味。
この辺の畳み込んだ内容はファンには不完全燃焼だと思う。
私はハッピーエンドが好きだ。
だから、いつまでもサクセスの余韻に浸っていたいのだ。

雨の中、いつもの「花蝶」まで出かけ、遅い目の夕食を食べた。
自宅ではいつも作務衣を着ているが、今夜はそのまま出かけた。
帰宅後、風呂に入って、背筋を緩め、のんびりしたところで日記。
明日は病院へ行く。
頭部の処理がちょっと怖い。
ハゲができるかも・・・。

激痛

2006年2月13日
起床は6時30分。

昨夜も遅くまでDVDを観てしまったので、やはり朝風呂になってしまった。
相変わらず、朝食のサンドイッチを買っているが、サンドイッチ屋のいつものお姉ちゃんは田舎に帰ったままで、別の子が作っているので内容がまるで違う。
ま、特別サービスがないからといって文句は言えまい。

昼食はビルの1階にある焼肉屋でハンバーグ定食。
あまり美味くない。
やはり「花蝶」の味に慣れてしまっているからだろう。
午後一番に徐家匯へ行き、打合せ。

帰社後にアスレチックジムへ行ったが、超満員。
ようやく空いたウォーキングマシンに乗って歩き出した。
二日間空けたので大丈夫だと思い、いつものメニューを始めたが、足が軽いのでメニューを少し強めた。
5.3Km/Hの歩き7分と10Km/Hの走り3分を、5分と5分にした。

2巡目に右足に異変が起きた。
激痛が走ったのだ。
その後、足が動かせなくなった。
どうやら肉離れの症状だ。
ただ、重度ではなく、早いうちに止めたために比較的軽くて済んだ。

肉離れでは過去に大きな失敗をしたことがある。
筋肉の破断という症状の実態が判らず、起きたその後にマッサージをし、さらに医者の言うことも聞かずに、ご丁寧にも風呂でマッサージまでしてしまった。
その結果、足の腫れはますますひどくなり、激痛で歩くどころではなくなり、完治に6週間費やした。
だから、今回は何もせず、そのときの薬と同様のものをただひたすら塗布して、腫れの治まるのを待っている。

「万都」のジムから「百盛」まで15分かかり、さらに痛みが増した食後には「百盛」の「花蝶」から自宅まで25分かかった。
いつもなら5分もかからない距離を、痛まないように恐る恐る歩いて帰った。
今後の高血圧対策のメニューを見直さなければならなくなった。

完全休養

2006年2月12日
起床は10時30分。

朝から全く動かない。
ベッドから出て、風呂には入ったが、それ以外はまるでしない。
飯はインスタントラーメンのみ。
ただ、冷凍の野菜をたっぷり入れたので栄養は足りているはず。

相変わらず、「大長今」のDVDを観ている。
あと3時間弱を残すまでこぎつけたが、これらを一気に観るには根性が要る。
すごいドラマだ。
韓国物特有の主人公のジレンマがこれでもか、これでもかと繰り返される。
そして、その結果にある感涙にもらい泣きする。
単純なストーリーだけに展開が判るのだがいつの間にか引きずり込まれてしまい、気がつけば没頭してしまう、まるで麻薬のようなものだ。

結局、この週末は何もしなかった。
それに対して、何ら悔いはない。
そういう日があってもいいと思っているから。
そういう日が必要な時期だと判っているから。

身体と心の休養

2006年2月11日
起床は12時30分。

約8時間寝た。
よほど疲れていたのだろう。
身体が思った以上に疲れている。
特に下半身の悲鳴がすごい。
ちょっと動かしても激痛が走る。
今日はジムも休み、何もせずに一日を送った。

何もせずに、ではないな。
自分で作った飯も食ったし、「大長今」のDVDも見た。
でも、足跡が残る事は全く何もしなかった。
こんな日があってもいいだろう。

今、一番会いたい人は「妻」だ。
春節で帰国したときは何も話せなかった。
でも、今なら何か話すことができるかもしれない。
素直な気持を聞いてもらえるまで辛抱強く話せるかもしれない。

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